穀雨(こくう)

ぼたん 牡丹(季節の花)300)より

春土用に入り、これから徐々に夏が生成されていきます。

春雨降りて百穀を生化すればなり(暦便覧)

今日は「穀雨」です。
百穀を潤す春雨ということ、「百穀春雨」とも言います。

今春は雨が多かったように思いますが、穀雨以降はさらに雨の日が多くなります。
しかし気象庁の10日間天気では晴れの日が多い予報です。
ゴールデンウィークの天気が気になりますね。

日本人は農耕民族、昔から穀物を大切に育て、一粒も残さぬように食べよと、
教育されてきた。
最近の食の多様化、いや乱れといった方が適切かもしれない。
家庭の味、おふくろの味も遠のいた。
食育、穀育という言葉も遠のいた。
ニッポンこれでいいのか!
“日本を、取り戻す”と言ったのは誰だ。
経済も大事だがむしろ危ないのは文化だ。

種床にしみ込んでゐる春の雨 (池崎るり子)

春に降る雨、日本語にはいろいろな言い方があります。
・「春雨」は、しめやかに静かに降る雨
・「春時雨」は降ったり止んだりと定まらない雨
・「春の長雨」は、しとしとと何日も降る続く雨
・「菜種梅雨」は、菜の花などの花々が咲く頃の長雨
・「春驟雨(はるしゅうう)」は、激しく降るにわか雨
・「催花雨(さいかう)」は、花の開花を促すように降る雨
・「甘雨(かんう)」は、草木の成長を促すようにやさしく降り注ぐ雨
春の長雨、菜種梅雨は「春霖(しゅんりん)」ともいいます。

春土用は季節の変わり目、17日の入りの日は戌です。
「い」のつく物を食べましょう。
いわし、いか、だいこん、いも、いちご・・などです。

28日は昭和の日、GWに突入です。
来月に入り2日は「八十八夜」、5日は「立夏」です。
季節は青春からやがて朱夏に向かいます。

◆七十二候◆

初候(十六候):葭始生(あしはじめてしょうず)
  水辺の葭が芽吹き始める頃。
 葭は夏に背を伸ばし、秋に黄金色の穂をなびかせます。
 すだれをだす季節の到来です。

次候(十七候):霜止出苗(しもやみてなえいずる)
 霜は作物には大敵ですが、もう降りなくなります。
 苗がすくすくと育つ頃。田植えの準備が始まります。

末候(十八候):牡丹華(ぼたんはなさく)
 「百花の王」と言われる牡丹が大きな花を咲かせる頃。
 “立てば芍薬座れば牡丹”です。

[ 2017/04/20 08:29 ] 季語・歳時記 | TB(0) | CM(0)

新緑

昨日から早朝まで強風と激しい雨に見舞われた。
今日は一転「夏日」である。
関東では7月並みの気温の高さとなっている。
何と何と高崎では真夏日だ。
晩春の気候は激しく変わる。

新緑の木々の主張の見えそめし (稲畑汀子)
新緑の小さき庭に若き声  (久保田一豊)

桜の花が散った途端に、新しい命あふれる若葉の季節が訪れた。
庭は既に新緑、5月の風情を醸し出している。


もみじ かりん アメリカ
木の芽 ハーブ 土佐水木
なるこゆり どうだんつつじ 花筏
山吹 釣 蕗

若葉が風にそよぐ姿は落花とは違った爽快な風情です。
人間で言えばまさに青春時代。

[ 2017/04/18 17:54 ] 季節のたより | TB(0) | CM(0)

八重桜咲く

八重咲く

4月も、もう半分が過ぎた。
東京に転勤となった娘家族も少しは落ち着いたようだ。
孫は下が小学校に入学、上は4年生、心配していたが、学校の雰囲気は
福岡よりはよいようで、何とか適応しているようだ。
花盛りの桜のもとでのスタート、先ずは一安心。

ソメイヨシノは盛りを過ぎて、大方散った。

遅れ咲くこと貫禄の八重桜 (鷹羽狩行)

残るは八重桜だけだが、ここ数日の春爛漫のポカポカ陽気で開花しだした。
咲き始めから満開期まではおよそ1週間前後だから、来週の日曜が一番の見どころだろう。

山桜に対して人里の桜ということから「里桜」とも呼ばれる。
また花の形から「牡丹桜」とも呼ばれる。

八重だけに一重の桜と比べ、派手であり、優雅さを放っている姿は圧巻である。

花言葉は“おしとやか” どこが?
連休までもってくれればいいのだが・・・
[ 2017/04/16 11:49 ] 草木 | TB(0) | CM(0)

ペギー葉山逝く

“流水落花の如し”、人も桜もいつかは散る。
12日、歌手のペギー葉山さんが突然亡くなった。(享年83才)
美しい容貌、声量も衰える間もないまま、儚く散った命だった。

今年はデビュー65周年という節目を迎え、精力的に活動している矢先だった。
先月18日には青山学院大学でヒット曲「学生時代」歌碑除幕式に出席し、
「学生時代」ほか2曲を歌っている。(ご本人は青山学院高等部卒)

先月29日にも東京・日生劇場でステージに上がっていたというからまさに急死だ。
ご自身、最後のブログとなった30日には、“おー!タカラズカ!何て幸せな一日!”
というタイトルで、
「昨日は越路さんの37回忌を記念したイベントが東京の日生劇場で開かれ、
私も沢山のタカラズカのOGの皆様とステージで越路さんの思い出の歌と共に
本当にゴージャスなイベントに参加いたしました」
と報告している。

今月30日には「古賀政男音楽博物館開館20周年記念公演」で、
幻の楽曲「天使のための子守唄」を披露する予定だった。
5月にも大阪でのコンサートが予定されていた。
元気だっただけに、まさか死が待ってるなんて思ってもいなかっただろう。

1952(昭和27)年にジャズ歌手としてレコードデビュー、国民的歌手として
人気を集めた現在までのレコーディング曲数は約2000を数える。
平成19年に、女性として初めて日本歌手協会の会長も務めた。

最大のヒット曲は、昭和33年、NHK高知放送局の依頼で歌った
「南国土佐を後にして」である。
本人はこの歌をあまり好きではなかったというから皮肉なものである。
高知いや四国にとっては恩人である。
平成24年にははりまや橋(高知市)に歌碑が建てられている。

♭ドはドーナツのド レはレモンのレ・・
「ドレミの歌」は米ミュージカルの名作「サウンド・オブ・ミュージック」の歌の一つである。
日本語の歌詞はご自身の作詞である。

♭白く輝く 花嫁衣装に 心をかくした・・・
「ラ・ノビア」はカンツォーネ・ブームに乗ってヒットした。

♭つたの絡まるチャペルで祈りを捧げた日・・・
「学生時代」はキャンパス・ソングのはしりとしてロングセラーになった。

♭ケ・セラ・セラ、なるようになるさ、先のことなど判らない、判らない・・

「ケセラセラ」、先のことを気にしてもしかたない、今を精一杯生きよう・・
昭和31年頃の流行語にもなった。

私の好きな歌は
NHK「ラジオ深夜便」の2曲。
「夜明けのメロディー」(2010(平成22)年)と
最後の曲となった「おもいでの岬」(2016(平成28)年)である。
私のレパートリー曲でもある。
一度聴いて下さい。いい調べです。

同い年の菅原洋一さんは、「現役でやっているのは2人だけだから、頑張ろうね!って
言われたんですよ」と、急逝に驚きを隠せなかったという。

戦後の芸能史を彩ったスターがまた旅立った。       合掌

[ 2017/04/15 15:33 ] コラム | TB(0) | CM(0)

森寛紹大僧正猊下 直筆三幅

まずはじっくりとご覧いただきたい。

三幅

高野山真言宗元管長総本山金剛峯寺第406代座主 森寛紹大僧正猊下の直筆です。


森寛紹猊下略歴

1899(明治32)年、愛媛県温泉郡重信町(現:東温市)で生を受ける。
           12歳の時に高野山普賢院の住職であった叔父-寛勝和尚を頼り、
           高野山に上がり、普賢院に入寺して剃髪、僧侶の修行の道に入る。
1925(大正14)年、関西大学法学部卒、高野山大学入学。
1942(昭和17)年、大阪・普賢院住職、のち宝聚院住職。
1949(昭和24)年、「ホトトギス」同人になる。学生時代から高浜虚子に師事。
1972(昭和47)年、高野山第473世寺務検校執行法印。
1980(昭和55)年10月、全国1500万檀信徒の最高位である高野山真言宗管長・
              高野山真言宗総本山金剛峯寺第406世座主に就任。
1984(昭和59)年、50年毎の弘法大師御入定御遠忌大法会で導師を務める。
1994(平成6)年12月26日 遷化(享年96歳)。


読者の皆さんはもうお分かりだろう。
そうです。中川義博大兄が所有されている軸物です。
猊下として二幅、俳人としての一幅という形で三幅揃っているのは、
極めて珍しく貴重な代物です。

何故著名な高僧のお軸を三幅も所有されているのだろうか?
何と、頂いたものだという。
今から24年も前、1993(平成5)年の10月24日、
中川さんは5度目の高野山に参拝していた時のことである。
普賢院を散策中に芭蕉堂(寛紹猊下建立)の前にある句碑に目が留まった。


博象碑普賢院HP

平凡を倖せとして去年今年 白象

“平凡に生きることこそ、貴い生き方なのだ、非凡な日常の中に幸せがある”
まるで私の今の心境そのものと暫く思いにふけっていた。

近くに若い僧侶がいたので、「白象ってどなたですか?」と聞いた。
僧侶は「当院の御前様です。書き写さなくてもいいですよ」といい、院から句を染め抜いた
日本タオルを持ってきた。「どうぞ」と差し出した。
「おいくら差上げたらいいでしょうか?」と問うと、笑いながら「差し上げます」という。

「白象」とは森寛紹猊下のこと、「仏の道も、俳句の道も誠を求めることで相通じる」と
学生の時から尊敬する子規の門下となり、ホトトギス派の俳人になったのだ。
俳号は12歳で入寺した普賢院の普賢菩薩が白象にのっているのに因んだものと
初めて知った。

この偶然の出会いに感謝感激し、丁寧に何度もお礼をいい、下山したのである。

「慚愧の繰り返しはもう止めよう。これからは平凡の中に仏性を培い、日々実践しよう。
去年今年、四国遍路もその一環だ」私は肩の荷が下りたような気がした。

帰宅後、早速お礼の手紙に俳句に救われた想いを綴って普賢院に出したのである。

翌11月、普賢院の森寛勝法主から封書が届けられた。
それには祖父、寛紹からですと、直筆の色紙とお軸が入っていた。


寿1 寿2

祖父が筆を執るのはこれが最後となるでしょうとも書かれていた。
絶筆!!「寿」の一字である。
父母からいただいた限りなき、量りなき、寿の命、無量寿(むりょうじゅ)だ。

松陰の言葉が頭をよぎった。
「人には長かれ短かれ四季、春夏秋冬がある。私の命はここで尽きるが実りがある」

単なるお礼の手紙に対して・・こんな有難いことがあっていいのだろうか。
書の下には九十六歳の書とある。
1年後の平成6年暮れに猊下は遷化されたのである。  合掌

その後も森寛勝法主と折に触れ親交が続いた。

平成7年8月、二本目のお軸を拝領した。

仏心1 仏心2

「佛心」、 猊下九十二歳の書である。

字の如く、仏のこころ、心とはさとりのこと。大慈悲である。
平凡の中にも慈悲の実践を忘れないよう生きなければと思う。

平成10年8月、三本目のお軸を拝領した。

金泥1 金泥2

金泥の夢の一字の京扇子 白象

今回は俳人として詠んだ句だった。
添え書きに、「京舞井上流第四世家元井上八千代の踊りを見て詠んだ句です」とある。
夏に東寺に赴いた折にでも京舞を楽しんだのであろうか。

※四世家元井上八千代(1905(明治38)年~ 2004(平成16)年

人は心があるから夢も希望もある。逆に苦悩も絶望もある。正に表裏一体だ。
私は苦悩していた時に“平凡を倖せとして去年今年”の句碑に出合い救われた。
一日一日を平凡に生きる、夢と希望を持って生きようと思う。

中川大兄の説明を聞くにつれ、三幅それぞれの意味するところに感銘を受けたが、
反面羨ましい気もした。日頃の信心と行動の差なのであろう。

普賢院との交流は今なお続いているという。

而今の連鎖が、私たちの一生へと連なっていく。
平凡の中の幸せを噛みしめ、遊行期となった人生を生きたいと改めて思ったのである。

[ 2017/04/13 16:53 ] 作品 | TB(0) | CM(0)