信仰のご縁~越智画伯~

今から24年前、1993(平成5)年のある日のことである。

中川義博大兄は、NHKで「秘仏に挑戦、画家・越智雄二」と題する
スペシャル番組を見ていた。
衝撃が走った、食い入るように映像を見、聞きいった。

四国八十八ヶ所全ての霊場のご本尊を拝写している画家を紹介している。
尊敬してやまない高野山真言宗管長森寛紹大僧正が出ている。
総本山善通寺法主蓮生善隆大僧正も紹介されている。
お二人にはご高配にあずかっており、遍路人としても親近感を抱いた。
何としても越智画伯の絵を見たい、お会いしたい。
日増しにその思いは強くなるばかりだった。

翌年の春、新聞にて完成したことを知る。展示会があるが東京だった。
10月になり、高知西部を巡拝していた時、高知市内で展示会開催の情報を得た。
直ぐに取って返し会場へ赴いた。
一番霊山寺から逐次拝観する。
ご本尊・ご仏像の下部には画伯の説明が付してある。

1・2番

八十番国分寺の説明書きには、
「拝写をお願いしたが、本尊は秘仏で見ることが出来なかった。この頃の私は外にある石仏でも本堂にある仏様でも、拝む者の心次第ではそれ程の差はないということが分かってきていた。無理にお願いする事はよくないので、境内の石物の拝写をさせていただきました」と書いてある。

国分寺

私はこの言葉に感銘したのである。
何しろ八十八ケ寺である見終わるにはかなりの時間がかかった。
何とお会いしたかった越智画伯がそこにいるではないか!しかも同行二人。
巡礼の姿で一緒に拝写されたご夫妻だ。

幸いにもお話しさせてもらう機会を得た。
二人の大僧正とのこと、国分寺のコメントに感銘を受けた事など親しく懇談ができた。
実に穏やかなお二人だった。
厚かましくも、お会いできた記念にと国分寺の言葉を書いていただけないかと所望した。
画伯は快く、購入した「四国八十八ヶ所ご本尊・ご仏像画展」と題する本の見返しに
記して下さった。

添え書き

中川大兄は二人の大僧正や越智画伯から触れる温もりを感じながら、
会場を後にしたとのことであった。 (続く)



越智 雄二(おち ゆうじ)画伯の略歴
1918年~2011年 (享年93才)
1918年 愛媛県西条市に生まれる
      越智家は新居浜市で14代に渡る庄屋。後、西条市に移り、回船問屋を経て
      酒造業(石鎚酒造)に転身、現在に至る。
1943年 東京美術学校卒
春陽会員、田辺至画伯に師事、安井展・日動展他出品多数
愛媛県立美術館画業50年展他個展多数。
鎌倉に在住し、主に石鎚山を書き続けた。


四国八十八ヶ所ご本尊・ご仏像画について
越智画伯は元来信仰心をあまり持っていなかった。
八十八ヶ所の仏像を描くきっかけは、1972(昭和47)年に父親が亡くなり、母の書いた般若心経を託され、
八十八ヶ所を一人で回ったことから仏像に不思議な魅力を感じたこと。
高野山に森寛紹大僧正を訪ね、強く勧められたことなどである。
八十八ヶ寺に全て手紙を出し、拝写の許可を願い出、許可の下りたところから回った。
1991(平成3)年6月18日、73才の時、第75番善通寺を皮切りに八十八ヶ所霊場のご本尊・ご仏像の拝写を始める。
1993(平成5)年9月18日、第78番郷照寺にて結願。
約3年で拝写を終える。ご本尊の拝写は64ケ寺、鎌倉の自宅から四国へ足を運ぶこと25回。
拝写の旅は長くて1回4泊位。拝写に当たっては奥様ともどもお遍路の姿をして水彩でのスケッチ、
早くても1枚で半日はかかった。自宅に帰り、次の拝写までにスケッチを基に油絵に仕上げる。
その作業の繰り返しであった。大きさは平均して4~50号だが、120号が4点ある。

四国八十八ヶ所全てのご本尊・ご仏像を描いたのは越智画伯が初めてである。
1994(平成6)10月20日~31日、高知大丸にて「四国八十八ヶ所ご本尊・ご仏像画展」
同年10月15日、「四国八十八ヶ所ご本尊・ご仏像画集」を発刊(NHKサービスセンター松山支局)
表紙009_convert_20170403173302.jpg
1995(平成7)年2月4日~9日、松山にて開催。2月中に八十八ケ寺に油絵奉納。
1996(平成8)年3月、第26番金剛頂寺本堂地下廻廊に仏像原画95点を奉納する。
5月8日開館、一般に開放する。(画集・年譜から抜粋)
越智展示
「金剛頂寺本堂地下廻廊」服部さんちのHPより
スポンサーサイト
[ 2017/04/03 17:43 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://sanbonmatu431.blog122.fc2.com/tb.php/875-eb4e5c3a