久々の同期会

一昨日は同期入社の懇親会に2年半振りに参加した。

病気の影響で皆とは久しぶりの再会であった。
昭和44年入社から「獅子の会」と名を付け、年に2回開催されている。

メンバーは高専卒以上で、現在32名。
主に四国在住であるが、それぞれ都合もあって、今回の参加者は14名であった。

昼の部はゴルフである。
ゴルフは30年間やったが、早期退職後は両親介護のため、クラブを置いたので欠席だ。

皆、病気のことを大変心配してくれ、口々に「お久し振り、どうなの?」と聞いてくる。
司会者の口切、乾杯の後、暫くして、近況について報告の場がある。

私は2番手。
発病発見から治療、寛解に至る経緯や近況、今後のことなどを話したが、
病気に対しての質問も多く、5分の予定をはるかにオーバー、迷惑をおかけした。

この年になると、病気や医療費、年金の話が多くなる。
次いで孫のこと、趣味の順だ。

病気のことはさておいて、
Iさんは郷土史研究、U君は山登り、
T君は関係会社社長退任後、ご夫婦で海外旅行三昧。
A君は、多種の果樹栽培、皆から次回には持って来いよ!との意見が、
I君は調停委員を終えたがさらに依頼、S君は会議所会頭でまだ多忙らしい。
N君やH君は趣味とボランティアにと皆多彩だ。
T君は社及び経済連合会の会長、暫くは現役で活躍してもらわなくてはならない。

欠席のK君は介護・ボランティア、I君は旅行、U・S・F君は孫の世話、
S君は病気、他の方はやんごとなき所要のためだった。

人生も第三コーナーを過ぎ、直線コースに入った。
人生には定年がない。
一日一生、健康寿命を長く保つためにも、食事と運動には気を付けましょう。

次回は11月、幹事のD・T両君にはご苦労ですが、引き続きよろしく。
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[ 2017/04/29 09:57 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

信仰のご縁~越智画伯~(その2)

越智画伯との出会いは、「今・この瞬間」を生きている幸せ、
「一期一会」を大事にされているからこそのご縁であった。
「一期」は、人が生まれてから死ぬまでの間を意味する。
この日(平成6年10月24日)から中川義博大兄と画伯と親密な交流が
始まったのである。

南山大師
南山手紙
南山大師金言色紙&お手紙


越智画伯は最も感銘を受ける言葉として、

“古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ”

を挙げている。


(私は“芭蕉”の言葉と思っていたが、元は弘法大師なのだ。弘法大師(空海)の異称に南山大師があるというのも初めて知った。)

お手紙には追伸として、十河信二元国鉄総裁とは昵懇、井上禎一初代四国鉄道局長や
坂出の津島家とは親類、東かがわ市の名門日下家の日下昌三郎は美術学校で同級生
などと書かれてある。

同時に中川様とはどこかでつながっている、
仏像展でお会いできたことは何かご先祖様のお引き合わせと有難く思っています。
と書かれてある。
中川大兄は驚きと同時に大変有難いことだと強く感じたとのことであった。


梅色紙
梅手紙
紅梅の色紙&お手紙

その後も手紙のやり取り、展示会等での再会など、越智画伯が2011年、
93歳で亡くなるまで17年間も交流は続いたのである。

芙蓉芙蓉

室戸岬室戸岬

足摺岬足摺岬
足摺裏署名色紙の裏の署名
 
足摺岬の日の入り、このスケッチは2008(平成20)年9月、卒寿記念展に
出展されたものである。

越智画伯から頂いたお便りや色紙、画集は宝物として大切に保存されている。

私は中川大兄の話や実際に絵に触れる機会を得て、改めて画伯の偉業に
驚いたのである。 感謝!
[ 2017/04/05 07:01 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

信仰のご縁~越智画伯~

今から24年前、1993(平成5)年のある日のことである。

中川義博大兄は、NHKで「秘仏に挑戦、画家・越智雄二」と題する
スペシャル番組を見ていた。
衝撃が走った、食い入るように映像を見、聞きいった。

四国八十八ヶ所全ての霊場のご本尊を拝写している画家を紹介している。
尊敬してやまない高野山真言宗管長森寛紹大僧正が出ている。
総本山善通寺法主蓮生善隆大僧正も紹介されている。
お二人にはご高配にあずかっており、遍路人としても親近感を抱いた。
何としても越智画伯の絵を見たい、お会いしたい。
日増しにその思いは強くなるばかりだった。

翌年の春、新聞にて完成したことを知る。展示会があるが東京だった。
10月になり、高知西部を巡拝していた時、高知市内で展示会開催の情報を得た。
直ぐに取って返し会場へ赴いた。
一番霊山寺から逐次拝観する。
ご本尊・ご仏像の下部には画伯の説明が付してある。

1・2番

八十番国分寺の説明書きには、
「拝写をお願いしたが、本尊は秘仏で見ることが出来なかった。この頃の私は外にある石仏でも本堂にある仏様でも、拝む者の心次第ではそれ程の差はないということが分かってきていた。無理にお願いする事はよくないので、境内の石物の拝写をさせていただきました」と書いてある。

国分寺

私はこの言葉に感銘したのである。
何しろ八十八ケ寺である見終わるにはかなりの時間がかかった。
何とお会いしたかった越智画伯がそこにいるではないか!しかも同行二人。
巡礼の姿で一緒に拝写されたご夫妻だ。

幸いにもお話しさせてもらう機会を得た。
二人の大僧正とのこと、国分寺のコメントに感銘を受けた事など親しく懇談ができた。
実に穏やかなお二人だった。
厚かましくも、お会いできた記念にと国分寺の言葉を書いていただけないかと所望した。
画伯は快く、購入した「四国八十八ヶ所ご本尊・ご仏像画展」と題する本の見返しに
記して下さった。

添え書き

中川大兄は二人の大僧正や越智画伯から触れる温もりを感じながら、
会場を後にしたとのことであった。 (続く)



越智 雄二(おち ゆうじ)画伯の略歴
1918年~2011年 (享年93才)
1918年 愛媛県西条市に生まれる
      越智家は新居浜市で14代に渡る庄屋。後、西条市に移り、回船問屋を経て
      酒造業(石鎚酒造)に転身、現在に至る。
1943年 東京美術学校卒
春陽会員、田辺至画伯に師事、安井展・日動展他出品多数
愛媛県立美術館画業50年展他個展多数。
鎌倉に在住し、主に石鎚山を書き続けた。


四国八十八ヶ所ご本尊・ご仏像画について
越智画伯は元来信仰心をあまり持っていなかった。
八十八ヶ所の仏像を描くきっかけは、1972(昭和47)年に父親が亡くなり、母の書いた般若心経を託され、
八十八ヶ所を一人で回ったことから仏像に不思議な魅力を感じたこと。
高野山に森寛紹大僧正を訪ね、強く勧められたことなどである。
八十八ヶ寺に全て手紙を出し、拝写の許可を願い出、許可の下りたところから回った。
1991(平成3)年6月18日、73才の時、第75番善通寺を皮切りに八十八ヶ所霊場のご本尊・ご仏像の拝写を始める。
1993(平成5)年9月18日、第78番郷照寺にて結願。
約3年で拝写を終える。ご本尊の拝写は64ケ寺、鎌倉の自宅から四国へ足を運ぶこと25回。
拝写の旅は長くて1回4泊位。拝写に当たっては奥様ともどもお遍路の姿をして水彩でのスケッチ、
早くても1枚で半日はかかった。自宅に帰り、次の拝写までにスケッチを基に油絵に仕上げる。
その作業の繰り返しであった。大きさは平均して4~50号だが、120号が4点ある。

四国八十八ヶ所全てのご本尊・ご仏像を描いたのは越智画伯が初めてである。
1994(平成6)10月20日~31日、高知大丸にて「四国八十八ヶ所ご本尊・ご仏像画展」
同年10月15日、「四国八十八ヶ所ご本尊・ご仏像画集」を発刊(NHKサービスセンター松山支局)
表紙009_convert_20170403173302.jpg
1995(平成7)年2月4日~9日、松山にて開催。2月中に八十八ケ寺に油絵奉納。
1996(平成8)年3月、第26番金剛頂寺本堂地下廻廊に仏像原画95点を奉納する。
5月8日開館、一般に開放する。(画集・年譜から抜粋)
越智展示
「金剛頂寺本堂地下廻廊」服部さんちのHPより
[ 2017/04/03 17:43 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

御朱印帳拝見(続)

昨年11月26日の「御朱印帳拝見」で、敬服している中川義博大兄が
四国霊場以外に「西国三十三カ所観音霊場」や「真言宗十八本山」
さらには各所の寺院を巡っていることを紹介した。
その際、拝見と話に夢中になって納経帳をカメラに収めるのを抜かった、
と追記した。


御朱印帳拝見

前出、窪田東堂さんの仏教版画二軸を拝見した際、その納経帳を態々持って
来られたので撮影させていただいた。
その一部を紹介する。


西国三十三カ所観音霊場

008
第一番 青岸渡寺 第二番 金剛宝寺 第三番 粉河寺

010
第九番 興福寺

009
第三十三番 華厳寺
ここでは花山法皇が詠まれた三首の御詠歌にちなんだ三つの御朱印がいただける。
この三つの御朱印は本堂(大悲殿)、満願堂、笈摺堂を指し、それぞれ現在・過去・未来を意味している。

真言宗十八本山

011
第四番 中山寺 第五番 大覚寺

012
第九番 教王護国寺(東寺)

各寺院

013
知恩院、龍安寺、念仏寺

014
法隆寺、薬師寺、唐招提寺、浄瑠璃寺

015
興福寺、東大寺、宇治平等院、大覚寺

016
中尊寺、恐山、恐山奥の院

019
蓮華寺、神護寺、仁和寺、大願寺



「四国遍路」、弘法大師ゆかりの霊場をめぐる旅です。
中川さんは間もなく祈願を込めて27回目の巡礼をスタートされる。
第一番霊山寺からの発心の阿波路は、列車と歩きの遍路である。

『巡礼の神髄はお寺を参拝することより、“道”にある。
駅伝と相通じるものがあります。
札所と札所を結ぶ遍路道を歩いていると、自然との出会い、人との出会い、
一つひとつが人生観になる。
忘れていること、大切なことを取り戻します。

遍路は私の修業の道場なのです。
難所ほど、過酷なほど見えてくるのです。
だから険しい山道の焼山寺、鶴林寺、太龍寺、神峰寺、横峰寺、焼山寺などは
麓から歩いて上ります。
巡るのは極寒の冬と灼熱の真夏です。
かつては橋の下、海岸、バス停、公園などに野宿、今は道の駅での車中宿です。
雨さえ凌げればいいのです。

こうした困難な所に身を置くほど、それに耐えうる特別な勇気が湧いてきます。
回数を重ねるほど重くならないかと問う人もいますが、むしろ軽くなります。
軌道修正もし易くなります。
その忍耐と勇気が人智で計り知れないほどの幸運をもたらしてくれます。

歩きながら心と真剣に向き合い問い直す、日常では出来ません。
自然界の変化を感じ、偶然の出会いは感性を高めてくれます。
人々との出会いにより恩恵を受ければ、他者にお返しする。
善の心や感謝、生きる勇気が高まるのです。
生きている証なのです。
それは仏天の恵みだと思っています。
だから何回巡っても今年も又巡ろうと思うのです。』


中川大兄の話す一つひとつの言葉に含蓄があります。
また時間を忘れて拝聴していました。
皆さまはどうお感じになりましたでしようか?

昨年は太龍寺参道で“鳳”かと見違えるような大きな“ヤマドリ”に遭遇した。
今回の往還の旅ではどのような出会いが待っているのであろうか?

それは仏天のみが知っている。御加護はきっとある。

私も期待している。
結願の暁には、私も含め多くの人の祈願で重くなった「重ね印」を抱かせていただきたいと願っている。
[ 2017/01/21 07:48 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

年賀

              除 災 得 幸

とり
                                      溝口堂央作

     謹んで新年のご挨拶を申し上げます

               常とこ世よの長鳴き(古事記)
           サル年からトリ年へ
         病気のトリ込はもうたくさん
           1年1年が目渡る
         今年は実りある年にしたい


  皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます

                   平成29年元旦

          ブログ、出来る限り継続してまいります
         今年もよろしくお願いいたします
[ 2017/01/01 05:33 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)