OBとの交流

サイホン

月1度、最終日曜日の朝8時から会社のOB会がある。
OB会と言っても当地、東かがわ市の事業所に勤務した者の集まりである。
私は勤務したことはないが特別に入れてもらっている。
場所は喫茶店である。

以前は15人程度と多くの参加者であったらしい。
高齢化で次第に減少、今は4~5人である。
私が一番若いのである。
1時間程度でお開きになる。
近況や情報交換の場としてはこぢんまりとして丁度いい。
年に2回、懇親会がある。これには20人程度は集まる。

話は少しそれるが、昭和40年代中半から10年ほど、集団力学(グループ・ダイナミックス)を研究。
九大の三隅先生のPM理論を導入したことがある。
従業員の意識調査と上司の評価を行い、その結果を基に管理者のリーダーシップ向上の
研修を行う。
併せて職場単位に小集団を結成し、活力ある職場づくり運動を展開したのである。
当時としては一定の成果を上げたと思っている。

その後組織診断、組織開発へと進めた。
これは個人・集団に葛藤を起し、風土に馴染まなかった。

3分の2が技術者の会社である。メインテナンスばかりじゃ士気は上がらない。
技術集団は物作りや新しい設備建設をしている時は生き生きと輝いている。
経営上、いや経営学としてどのような手法を導入しているのであろうか?

県単位で○友会という組織もあり、年1回の総会がある。
それには退職直後に2回参加したきりである。
セレモニーだからである。今の時節に“万歳”は如何なものであろうか!

同期会は寛解したから参加したいと思っている。
同窓会、大学の研究会サークルも同様、大事にしたい。

横浜在住の高校の同級生からメールが届いた。
彼は、大学時代のクラブ仲間、同期や昔の会社仲間との旅行が今の生活スタイルという。

楽しみがなければ参加する意味はない。
スポンサーサイト
[ 2017/06/25 11:53 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

“自宅ヒトカラ”700曲超える

日の出

4時52分、今朝の日の出である。
このところ晴れたカラッとした日が続いている。
例年になく雨量がなく、四国の水がめ早明浦ダムの貯水率も徐々に下がっている。
今夕からゆっくりと下り坂、でも8日は再び晴天の予報。
四国地方の梅雨入りの平年は6月5日だが遅れそうだ。

散歩に加え、一人生活の健康法として昨年5月から始めた“自宅ヒトカラ”。
1曲当り7~10㎉消費する。
知っている曲は何でも歌い録音してきたが効果のほどは?である。

若い時のような声はもう出ない。そりゃそうだ、もう古希だ。
往年の人気歌手が歌唱力の衰えた無残な姿をさらしているのは見るに堪えない。
私もそうだと自覚せざるを得ない。
男性歌手はキーが高いので尚更である。
だから自然に女性歌手の歌が多くなる。

一番好きな歌手は“ちあきなおみ”である。
活動休止から既に25年が経った。
もう一度と思うが、イメージは壊したくない。

オリジナル曲の、紅とんぼ、雨に濡れた慕情、カスバの女、喝采、夜間飛行、
矢切の渡し、四つのお願い、最後の楽曲ともなった紅い花などもいいが、
リンゴ村から、酔いしれて、黄昏のビギン、星影の小径、粋な別れ、泣かせるぜ、
などのカバー曲もオリジナルを上回る上手で、ちあきの歌にしてしまっている。

愛のために死す、帰れないんだよ、かなしみ模様、かもめの街、つかれたわけじゃないわ、
ひとりしずか、秘恋、冬隣、円舞曲は隠れた名曲ではないだろうか。

ねえあんた、ハンブルグにて、夜へ急ぐ人、もいいがこれは難しすぎて歌えない。

歌唱力、表現力では美空ひばりに匹敵する歌手だと思う。
変幻多彩という点ではちあきは上ではなかろうか。

昨年の5月26日、黄昏のビギン、酔いしれて、粋な別れ、紅い花がスタートである。

今月に入り、

君知らず、歳月河、帰れないんだよ(ちあきなおみ)
オホーツク海岸(川野夏美)
命の花、紅ひとり、愛にゆれて・・(大月みやこ)
風のようなひと(チェウニ)
恋花、百夜行(坂本冬美)
おんなの灯り、女のきもち(角川博)
はぐれ花(市川由紀乃)
五月のバラは美しく(玉井京子)
美しい昔(天童よしみ)
百年の抱擁(石川さゆり)

を入れた。やはり女性が多い。
これで731曲収録となった。


カラオケ
[ 2017/06/06 08:29 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

中川大兄に更なる仏天

今日は娘に用事があり高松に出向いた。
最高気温31度、炎天下の車は蒸し風呂状態。
エアコンは誠に有難い。

昨日は中川義博大兄の訪問を受けた。
出雲の国から萩へ3泊4日の旅をされており、帰られたらお話を伺いたいと
所望していたからだ。

話は3時間にも及んだ。詳細を書くとブログにならないので簡潔に述べる。

瀬戸大橋を渡り、先ずは倉敷の浄土真宗本願寺派の「真光寺」に立ち寄られた。
隣接する墓苑パーク内には窪田東堂氏が版木を奉納された仏教版画展示場がある。
手狭になったため、新しく建設することから訪問したとのことである。
窪田東堂氏は以前に当ブログで紹介した方である。

描きためた五百羅漢を形にして日の目を見せたいとの思いが、
前住職と一致して場が持たれたとのことである。
東堂氏にとっては正に「成道(じょうどう)=悟りを開き,仏道を完成すること」であった。

それを網羅収録したのが「羅漢 戯画戯語 春夏秋冬」(本)である。
住職から頂いたのであるが、一冊は持っているからと私に下さった。
じっくり見たいと思う。 感謝。

東堂羅漢本

新装なった時、再訪すると述べ、後にしたとのことである。

玉造温泉、石見銀山・五百羅漢、津和野を経て、萩へ。
萩は好きで何度も訪れている地である。
5月25日、時あたかも松陰先生(地元では皆先生と呼んでいる)が安政6年(1859)に
江戸幕府の命により萩から江戸に護送された日。
松陰神社春季大祭に出くわした。
全くの偶然、不思議な縁である。

今回は趣を変えて、船で遊覧することにした。
お城の疎水を通り、橋本川本流に入り、武家屋敷群を川から眺める
約40分の往復ルートである。
新緑と白壁のコントラストが実に情緒的、町並みや幕末の志士ゆかりの地をめぐる
散策と違い風情がある。

最後は庄原市比婆にある真言宗御室派「城福寺」への訪問である。
ここの住職は御室派の総本山「仁和寺」の第44・45・46世門跡の随行を
されていた方である。
事前に言わず、突然訪ねたのであるが、丁度お勤めを終えたところで、
約30年振りの再会であった。

以前、高松市の南方、塩江の奥にある御室派の「大瀧寺(おおたきじ)」(美馬市脇町)
を訪ねた時、小田慈舟(おだじしゅう)著と書いた辞典・全集らしき厚い本が並べられていた。
大瀧寺は四国霊場八十八番大窪寺との関係が深く東大窪寺、西大瀧寺の名で呼ばれいるお寺である。

城福寺の住職も姓を小田といい、同じ御室派である。
もしやと訪ねると、祖父であるとのことであった。
42世門跡であり、大学教授、密教学の権威と聞き驚嘆した。

昔話に華を咲かせていると色紙を差し出された。
何と第50世 立部祐道現門跡の書である。「差し上げます」という。
誠に恐縮の至りであるが有り難く拝領した。
さらに帰り際に掲げてあった額を外し、これもと差し出された。
それは小田慈舟元門跡が書かれた書であった。
「祖父も知られている縁ですから」という。
今回の旅もまた仏天が舞い降りた。

今回大兄が拝領した二つの書を拝見し、紹介しようと思ったが、
第45世 松村祐澄、第46世 吉田裕信門跡の書もお持ちなので、
機会があれば一緒にご紹介したいと思っている。


みかん
お土産にいただいた夏ミカンのお菓子
[ 2017/05/30 20:31 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

久々の同期会

一昨日は同期入社の懇親会に2年半振りに参加した。

病気の影響で皆とは久しぶりの再会であった。
昭和44年入社から「獅子の会」と名を付け、年に2回開催されている。

メンバーは高専卒以上で、現在32名。
主に四国在住であるが、それぞれ都合もあって、今回の参加者は14名であった。

昼の部はゴルフである。
ゴルフは30年間やったが、早期退職後は両親介護のため、クラブを置いたので欠席だ。

皆、病気のことを大変心配してくれ、口々に「お久し振り、どうなの?」と聞いてくる。
司会者の口切、乾杯の後、暫くして、近況について報告の場がある。

私は2番手。
発病発見から治療、寛解に至る経緯や近況、今後のことなどを話したが、
病気に対しての質問も多く、5分の予定をはるかにオーバー、迷惑をおかけした。

この年になると、病気や医療費、年金の話が多くなる。
次いで孫のこと、趣味の順だ。

病気のことはさておいて、
Iさんは郷土史研究、U君は山登り、
T君は関係会社社長退任後、ご夫婦で海外旅行三昧。
A君は、多種の果樹栽培、皆から次回には持って来いよ!との意見が、
I君は調停委員を終えたがさらに依頼、S君は会議所会頭でまだ多忙らしい。
N君やH君は趣味とボランティアにと皆多彩だ。
T君は社及び経済連合会の会長、暫くは現役で活躍してもらわなくてはならない。

欠席のK君は介護・ボランティア、I君は旅行、U・S・F君は孫の世話、
S君は病気、他の方はやんごとなき所要のためだった。

人生も第三コーナーを過ぎ、直線コースに入った。
人生には定年がない。
一日一生、健康寿命を長く保つためにも、食事と運動には気を付けましょう。

次回は11月、幹事のD・T両君にはご苦労ですが、引き続きよろしく。
[ 2017/04/29 09:57 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

信仰のご縁~越智画伯~(その2)

越智画伯との出会いは、「今・この瞬間」を生きている幸せ、
「一期一会」を大事にされているからこそのご縁であった。
「一期」は、人が生まれてから死ぬまでの間を意味する。
この日(平成6年10月24日)から中川義博大兄と画伯と親密な交流が
始まったのである。

南山大師
南山手紙
南山大師金言色紙&お手紙


越智画伯は最も感銘を受ける言葉として、

“古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ”

を挙げている。


(私は“芭蕉”の言葉と思っていたが、元は弘法大師なのだ。弘法大師(空海)の異称に南山大師があるというのも初めて知った。)

お手紙には追伸として、十河信二元国鉄総裁とは昵懇、井上禎一初代四国鉄道局長や
坂出の津島家とは親類、東かがわ市の名門日下家の日下昌三郎は美術学校で同級生
などと書かれてある。

同時に中川様とはどこかでつながっている、
仏像展でお会いできたことは何かご先祖様のお引き合わせと有難く思っています。
と書かれてある。
中川大兄は驚きと同時に大変有難いことだと強く感じたとのことであった。


梅色紙
梅手紙
紅梅の色紙&お手紙

その後も手紙のやり取り、展示会等での再会など、越智画伯が2011年、
93歳で亡くなるまで17年間も交流は続いたのである。

芙蓉芙蓉

室戸岬室戸岬

足摺岬足摺岬
足摺裏署名色紙の裏の署名
 
足摺岬の日の入り、このスケッチは2008(平成20)年9月、卒寿記念展に
出展されたものである。

越智画伯から頂いたお便りや色紙、画集は宝物として大切に保存されている。

私は中川大兄の話や実際に絵に触れる機会を得て、改めて画伯の偉業に
驚いたのである。 感謝!
[ 2017/04/05 07:01 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)