母のエッセイ集完成

母エッセイ集






感謝の気持ちを想うがままに
エッセイにして、人生の終わりに
花を咲かせることができました










晩年母が生きがいとしていたエッセイ集をようやくまとめ製本にした。
タイトルは「卒寿を超えて」、「まえがき」にはこう書いた。

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行)

2009年の初秋、母が「私も随筆を書いてみようかしら」と突然いった。
四国新聞の読者文芸「随筆」を愛読しており、私にも書ける、挑戦してみようと思ったのだ。
何事にも意欲的な母らしいが、何せ91歳、日記とは違う。

早速カレンダーの裏に書きだした。書くスピードには驚く。あっという間に書き上げる。
旧字体だし、縦横傍若無人、判読は難しいが何とか様にはなっている。
殆どが昔のことであるが成る程と勉強になる。

翌年2月、最初に投稿した「私の宝物」が佳作に入選した。
小躍りして喜んだのは言うまでもない。
このことがきっかけとなって執筆に拍車がかかった。

4月に「佳作」、7月には「第3席」と投稿する度に入選。
2011年6月には念願の「第一席」に上り詰めた。
2012年、今年1月の新春号、「私はシンデレラ」が「第3席」に入選した直後、
今年一番の寒い朝、1月26日、脳梗塞を再発、52日間の戦いの末、3月16日に旅立った。
行年94歳。

このエッセイ集は、筆者が卒寿を超えて、晩年2年半の間に書き綴った作品の中から24篇を
追悼の意を込めて収録したものです。
「人間死ぬまで勉強」が口癖だった母、天国でも書いていますか!
母からはたくさんの事を学びました。
今は「ありがとう」この言葉しかありません。
2012年9月1日 


本の内容
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[ 2012/09/01 06:42 ] | TB(0) | CM(8)

母の日に

母建てし茶室で偲ぶ母の日々

今日は母の日。
母が建てた茶室で、母自筆のお軸を見ていると母との生活が思い起こされ、
暫く想い出に浸っていました。
母自筆の軸白のカーネーション
“薫風自南来”風薫る5月掛けには最も似合う言葉である。
野山には白い卯の花が咲き、森ではホトトギスが鳴く。
薫風は新緑の中をかぐわしい香りをもたらしながら、日本列島の大空間を南から北へと
夏の色に染めてゆく。

母の日や仏の母に白い花

茶室の床の間に白いカーネーションはいかがかとは思ったが、一輪供えた。
母が焼いた茶碗でお茶をたてての供養です。
薄茶を

窓を開けるとまさに“清風薫風”初夏の爽やかな涼風が吹き抜ける。
心の中もそうありたい。世の中も人々の心にも・・・

母の日を待っていたように芍薬が一輪咲いた。母は牡丹より好きだった。
芍薬

芍薬の花の大輪らしからず (高浜年尾)
[ 2012/05/13 11:25 ] | TB(0) | CM(4)

惜しむ

“諸行無常・生者必滅”月日の流れはまさに光陰流水のごとくである。
3月16日、母が永遠の眠りについて心の整理がつくまでもなく七七日。
八重桜は満開、母設計の庭も新緑も今が極み、母・春惜しむ中、満中陰の法要、納骨を終えた。
八重1八重2
庭1庭2庭3

母のお骨は父の隣に収めた。丁度5年振りの同居となった。
子孫の幸せを願いながら永遠に仲良く、眠っていてくれるだろう。
忌明け、嵐のような日々が過ぎ一人になると、どっと疲れがでた。

陽炎ゆれる中、久しぶりの散歩。
すでに「早苗月」、田園は麦畑と田植えを終えた水田、こいのぼりが舞い、蛙の声も聞こえる。
麦畑田植え終えた水田
“薫風香る” 自然の素晴らしさを、体一杯に感じることができた。

風さそう花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん(浅野内匠頭)
母にはまだ夢があった、人生未完成だったと惜しんでいるかもしれない。

皆様方にはお悔みや励ましのお言葉をいただき心よりお礼申し上げます。


[ 2012/05/04 16:58 ] | TB(0) | CM(2)

母旅立つ

生き死には 世の常ながら さりながら 

3月16日、9時42分。52日間にも及ぶ母の壮絶な戦いは終止符を打った。
直接の死因は3月に入って併発した肺炎である。右脳半分脳梗塞に見舞われ、心筋梗塞にも耐えた。
強い生命力も引き続く肺炎には撥ね退けるだけの力は残ってはいなかった。

肺炎は痰の分泌が非常に多くなるため、すぐに気管支が痰で詰まってしまう。
鼻と喉から吸引機カテーテルで採るのだが、頻度が多くなる。
胸も揺すりながら「口を大きく開けて、ゴックンして・・」「大丈夫よ、すぐに楽になるから・・」
看護師と一緒になって元気づけるが気管にも次第に通らなくなる。
意識もなくなるがとても痛そうにする。
高濃度用酸素マスクの濃度を次第にあげる。
空気が肺に入らないためか体全体で必死に呼吸している。
次第に呼吸も浅くなる。

10日の夜、医師から「明日朝が山でしょう」と告げられたが、さらに6日もった。
「死ぬ力」、死ぬにもエネルギーがいるのだ。
16日朝から呼吸も浅く、飛び出した。血圧も徐々に低下、最後は2度大きな息をし、人生94年の幕を下ろした。

我が母の 脳梗塞に 襲われて 死すこそ哀れ 彼岸に到る

最後を病院で、看取ったのは私一人、母としては寂しかったかもしれない。
最期まで命の炎を燃やし続けた精神の高潔さ”には母ながら感動をした。

病院での寝泊り、通夜、告別式、初七日法要と嵐のような忙しさだった。
母の骨は94歳という年齢や骨粗鬆症であったのにかかわらずしっかりしていた。
何しろ喉仏が、仏様が座禅を組んでいるような姿ではっきりと残っていた。
火葬場の方は「完全な形で喉仏が残っている方は200~300に一体位です。
しかも高齢の女性で、生前に余程良い行いをしていた方なのでしょうね」と言われた。

その遺骨は中陰壇に安置してある。
法名は「萬行院釋尼良泉」。母自身が生前に名づけたものである。
良は名から、泉は雅号「秋泉」からそれぞれ一字を取ったものである。
院号はお寺さんがわざわざ付けて下さった。

今日は彼岸明けである。一人になってどっと疲れがでてきたようだ。
会社を早期退職して、足掛け10年、両親を送った。
五木寛之流にいえば第二期の林住期(りんじゅうき)に入る。
楽しむことにスイッチングせよというが、先ずは母の作品を整理、書画集としてまとめたいと思っている。
お母さん長い間ありがとう。

4月28日には第35回モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門で審査員特別グランプリ
を受賞した井上靖の自伝的小説「わが母の記」が全国で封切となる。
10年間にわたる母の面倒を見た葛藤、家族・人との絆が描かれた作品だ。楽しみにしている。
ユリ
生前母に賜りました皆様の暖かいお気持ち、この場を借りまして心より感謝申し上げます。
[ 2012/03/23 11:53 ] | TB(0) | CM(8)

その後の母

「人生は幾度かの死と、幾度かの復活の一続きである」 (ロマン・ロラン)

ベッドにあっても母は復活に向かって懸命に闘っている。点滴は取れた。
今は1日3回、鼻孔から管を入れての流動食だけである。
1200kcal/日、キューピーの製品には驚きもしたがなるほどと納得もする。

昏迷に近いような状態、時折開く瞳は、意志の強い母のものではないが、
意識もあり、多少の認識もできる。

先日、担当の医師と看護師が「見ての通りです。この状態が続くと思います。
病院としての治療は終わりました。退院していただくことになります。在宅介護は難しいと思います。
地域介護施設はどこも数百人待ちで、入所には数年かかります。
不整脈があるし、肺炎など危険性もはらんでいますので、民間の長期療養病院の転院をお勧めします。
当病院でも介護認定後、あたってみますが、胃瘻が条件になるケースもあります」との話があった。
予想はしていたが、これが今の医療制度。
今、日本では胃瘻で延命している人は約40万人にも及ぶと言われている。
外国では胃瘻はやらない。

きょうから弥生3月。草木が芽を出していよいよ生い延びる月です。
日脚の中で陽光は強さを増してくる。鶯も鳴き出す、河津櫻はもう咲き始めた。
ツクシ、ワラビ、タラの芽、ウド、ゼンマイ、タケノコなども今年は苦味かろう。
明後日は「桃の節句」であるが、お雛様を飾る気もおきない。

「過去の今・現在の今」書く、描く、縫う、味わう・・その喜び。
今の母には生きている味わいがない。
でも心臓は動いている、呼吸もしている、手足は温かいのです。
中頃には「彼岸」になるが「此岸」とよばれる迷いの世界にいる。

桃源郷にせよ、極楽のような所には必ず桃の花が咲いている。
桃は邪気を払う霊力を持つ木ともされている。
病室に桃だけは生けよう。
[ 2012/03/01 20:41 ] | TB(0) | CM(3)