観桜茶会

栗林公園のソメイヨシノがようやく開花した。
高松地方気象台によると、平年より5日遅く、 昨年より7日遅い。
4月に入っての開花は2012年以来5年振りである。

満開予想日は4月9日(日)である。
先月末からライトアップしているがヤキモキしたことであろう。
ライトアップは9日で終了する。
もう少し伸ばしたらどうなの?

今日は“与田寺”の「観桜茶会」に行った。
東かがわ市の茶道諸派による恒例の茶会である。
今回で八十八回、歴史ある茶会である。

昨日と打って変わって春らしい陽気、絶好の日和である。
ただ問題は肝心の桜がない。
与田寺の桜は3月16日に紹介した“涅槃桜”なのだ。
既に散って葉のみになっている。
観桜は名のみである。

待合で待たされるのは嫌なので9時開始に合わせて行った。
与田寺本坊でのお茶席は本席が裏千家、副席は武者小路千家社中が務めていた。

待合には、かがり火で照らされた美しいしだれ桜のお軸の下に「会記」があった。

会記

う~ん、お道具としては地元の作が多く、特段気を引くものはない。(失礼)
副席は出さないことになっている。

先に副席に、お茶よりもお庭に気を奪われる。
本席は幼少の時から馴染みの先生、内でも長らく教えていた方である。
合えば今もって“ぼっちゃん”と言われる。
大勢だったので目立たぬ席にそっと座っていた。

茶道人口の減少が言われて久しいが、最近は若い人が多くなってきた。
こんな田舎でも外人もいる。
そのことが嬉しい茶会であった。



与田寺は、奈良時代739(天平11)に行基が開いた由緒ある寺院である。
与田寺と言えば何と言っても蓮生善隆氏、与田寺住職を経て真言宗総本山善通寺法王を務められた。
惜しまれながら平成17年1月に他界された。
娘さんと私は中・高の同級生だった。奈良の信貴山に嫁いでいる。
数年前同窓会で何十年かぶりにお会いした。元気でなりより。

真言宗善通寺派別格本山、さぬき七福神の一つであり、四国八十八箇所総奥の院であるが、
「厄除けの寺」として有名である。年末年始には多くの人が訪れる。
ここには江戸時代中期に建てられた4畳半の由緒ある茶室があるが、そこは使わせてくれないようだ。
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[ 2017/04/02 19:03 ] 地域のたより | TB(0) | CM(0)

南原繁氏歌碑「ふるさと」の筝曲 楽譜発見

ふるさと表紙

南原繁氏は、戦後間もなく1945(昭和20)年12月に第15代の東大総長となった方である。
学士会理事長、日本学士院院長などを歴任した。

東かがわ市相生の生まれ。生家は、特産和三盆といわれる砂糖の製造業を営んでいた。
香川県立大川中学(現・三本松高等学校)卒業後、一高から東京帝国大学法学部政治学科に入学。新渡戸稲造や内村鑑三の影響を受けた。

同じ相生出身の「ブギの女王」といわれる笠置シヅ子さんの後援会長も務めていた。

我が母校が誇る先輩である。生徒の時、講堂で先生の講演を一度聞いたことがある。

その歌碑が香川県と徳島県との境、大坂峠の展望台にある。
1953(昭和28)年に郷土入りされた際に大坂峠に立ち、幼時を偲んで詠まれたもの。
1957(昭和32)年に引田町と引田観光協会が記念として建立したものである。

歌碑

 幼くてわれの越えにし大坂峠に立ちてみさくるふるさとの町

何と半世紀たった今、この歌碑の楽譜が発見されたのである。


琴1 琴2
琴3 尺八
上段及び下段左が琴の譜面3P、下段右は尺八の譜面

発見したのは私と同級のOさん。
彼女は在学時に「筝曲同好会」に入っていた。
指導されていた先生が筝曲の大家、菊井松音氏に作曲をお願いし、作られた曲である。
尺八の楽譜も合わせ合ったが作者は不明である。

Oさんは琴の演奏家であり、歌も上手い。尺八も入り、この度録音された。
演奏は6分45秒である。

貴重な物であり、楽譜と録音を卒業生の会である「大中・三高会」の事務局に寄贈した。
本部や支部の総会、会報等で紹介し、卒業生に関心をもっていただければ幸いである。
[ 2017/03/22 15:23 ] 地域のたより | TB(0) | CM(0)

四国霊場八十八ケ所の切手

切手全体

一昨年4月に「四国遍路」が日本遺産に認定された。

これを記念して、日本郵便四国支社は88の札所の写真切手シートを
昨年春から逐次発行している。

各シートには10か所の札所の82円切手が収録されている。
全部で9シート、この程八十八ヶ所全てが出そろったので記念に購入した。

切手は建物、寺宝、塔、庭園、などである。
10枚×9シート=90  2枚はお遍路姿の切手だった。
徳島県の写真家、三好和義さんが撮影。


切手UP

切手シートに合わせ、四季折々の美しい風景写真、札所の紹介と金盛弥さんの
版画の冊子も入っている。

付録全体

付録UP

第1集

当分は飾って楽しみ、その後は手紙に貼って出したい。
はがきは来年6月から10円値上がり62円となるが、封書は82円と据え置きだ。
でも88も出し終わるのは何年先か?
その内、+の切手を貼るようになるのだろう。


パネル
パネルに入れ飾った。
[ 2017/01/30 15:33 ] 地域のたより | TB(0) | CM(0)

大晦日~トリ~

「美空ひばり」、言わずと知れた昭和を代表する大スターである。

NHKの年末の恒例、紅白歌合戦。
1956(昭和31)年、我が東かがわ市出身の女優・歌手「笠置シズ子」がトリで
「ヘイ・ヘイ・ブギ」を歌った。

翌年から3年間、美空ひばりがトリを務めた。
そして1963年から1972年の10年間連続して大トリを務めた、歌謡界の大御所である。

1937(昭和12)年生まれ。
9歳でデビュー「天才少女歌手」と言われ以後、歌謡・映画・舞台などで活躍した。
1989(平成元)年6月、52才にて永眠。
女性として史上初の国民栄誉賞を受賞した。
正に歌姫、不死鳥・・・そして不世出の歌声だった。

彼女がデビューして間もない頃、高知で大きな出来事があったことをご存じであろうか。
このことを大兄が「鉄道OB新聞」に投稿し、平成29年1月1日号に掲載された。
ご本人のご了解を得ましたので、ここに原文のまま紹介する。


杉の大杉と美空ひばり
 高知県長岡郡大豊町に樹齢3千年の「日本一の大杉」がある。
その前を四国第一の吉野川支流・穴内川を挟み、国道32号線とJR四国土讃線が並行する。
最寄りの駅は大杉駅である。
 土讃線に沿い、大歩危・小歩危の景勝地や山並みを遥か分け入れば、平家落人伝説を秘め、かずら橋でお馴染み祖谷渓を探勝できる。
 大杉は八坂神社の境内で合着した根元から南北二株に分れ、くねった枝が独立した一本杉のようになり、数カ所で突角に天を覆いに見事な壮観を呈する。
 南大杉は根回り20mで樹高60m、北大杉は根回り16.5m、樹高57mに及ぶ。
1500年前に杉本太郎なる人物が「貴船大明神と祇園牛頭大王」の尊像鎮祀の伝説があり、
昭和27年3月29日、国の特別天然記念物に指定された。
 現在もなお成長し続けているようで、形態からして別名「夫婦杉」とも呼ばれる。

 さて、終戦の傷癒えぬ昭和22年、バスで巡業中だった9歳の美空ひばりさんが、大杉の近くで転落事故に遭遇し、九死に一生を得て1カ月半の入院生活を余儀なくされた。
幸い順調に回復し、ひばりさんは大杉に「日本一の歌手にしてください」と祈願し、横浜へ帰ったという。
 その後スターの道を歩み、天才少女歌手と騒がれ人気絶頂となった14歳のとき、当時お世話になった大豊町へ挨拶に訪れる。
その際、なお大杉へ日本一の誓いも新たに、やがて誰もが異論の余地ない国民栄誉賞に輝く、大歌手として名を残す。
 ひばりさんが亡くなり、5年後、大豊町は“縁”を伝えるべく平成5年5月、大杉の傍らに名優・故萬屋錦之介書「大杉の苑」や遺影碑と歌碑など建立する。
遺影碑にひばりさんが大杉訪問の記念写真や除幕式参列の親友、神津善行・中村メイコご夫妻が捧げた詩も刻まれた。

 “幼き日/大杉に誓いし夢/大輪の花となり/ひばりの唄は/永遠に眠らじ”

 さらに戦後の荒んだ人々の胸を揺すった最初の「悲しき口笛」や最後となった
「川の流れのように」、高知らしく「竜馬残影」の歌がひばりさんの声で、
山肌へこだまする仕掛けが施された。
 現在もテレビで映像が流れたとき、四国の山間で郷愁を誘う神秘的な「日本一の大杉」に、人知れず思いを馳せたひばりさんへ、哀燐の情に耐えないものを感じている。
                                         
                                                中川 義博


大杉2大杉1
3000年の年輪を刻む「日本一の大スギ」(大豊町観光開発協会)

大杉の苑
美空ひばり遺影碑・歌碑がたたずむ「大杉の苑」(大豊町役場)
【遺影碑】
石 :緑色岩(吉野川源流) 高さ/2.2m 幅/1.8m 重さ/8t
遺影 :60cm×80cm 昭和27年1月25日撮影(ひばりさん当時14歳) 
    高知市で公演を行い、翌日お礼の参拝に訪れたときのもの
曲名:「悲しき口笛」 「川のながれのように」 「龍馬残影」

【歌碑】
石 :純コウレン石(吉野川源流) 高さ/2.7m 幅/3.7m 重さ/上部分3t下部分10t
歌碑 :「川のながれのように」 作詞者秋元康先生直筆
楽譜 :「川のながれのように」 作曲者見岳章先生直筆

美空ひばりと大杉【高知県長岡郡大豊町】(平成26年) YouTube 動画

大晦日 定めなき世の 定かな(井原西鶴)

今日は大晦日、第67回NHK紅白歌合戦の日である。
私のブログも今日が今年のトリ。
皆さま!当ブログをご訪問下さり有難うございました。
ゆく年をさわやかに送り、羽ばたく輝かしい酉年を迎えられますよう、
心からお祈り申し上げます。

[ 2016/12/31 06:35 ] 地域のたより | TB(0) | CM(0)

横浜のクリスマスツリー

24日のブログで
「日本で最初にクリスマスツリーが飾られたのは横浜、
1886(明治19)年と言うから130年も前だ」
と書いた。

横浜在住の同級生から、「今の横浜のクリスマスツリーです」と
わざわざ写真を送ってくれた。

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130年前のツリーはどんなものであったか、モミの木はあったのか、装飾はどうだったのか?
知る余地もないが、電飾でなかったことは確かだ。

調べて見ると、日本で初めてクリスマスツリーが飾られたのはプロイセン(ドイツ)の公館。
オイレンブルク公使がパーティー時に飾ったもので、1860年のことだった。

1886(明治19)年は、一般にお目見えしたのがこの年。
最初といっても解釈によって違うのだ。
12月7日、横浜に滞在していた外国人船員のためにと、明治屋の創業者、
磯野計が飾ったそうで、この日が「クリスマスツリーの日」となっている。
[ 2016/12/27 08:15 ] 地域のたより | TB(0) | CM(0)