知足心自平

知足 指名落款
  
特徴のある素晴らしい書体です。

出典は良寛上人の詩集「方外君莫羨」である。

方外君莫羨  方外(僧侶のこと)を君羨むこと莫れ
知足心自平  足るを知らば心自から平かなり
誰知青山裡  誰か知らん青山の裡に(青山裡とは悟りすました僧侶の心の中)
不有虎与狼  虎と狼と有らざらんや(虎与狼とは人間の欲のこと)


「僧侶になれば欲望が無くなるわけではない、悟りすましたように見える僧侶の心の内にも、
欲望の煩悩は有る。大切なのは足るを知ることで、知足ならば心は自から平静になる」
という意味である。

禅には「少欲知足(しょうよくちそく)」という言葉があります。
「欲を少なくして足るを知る」という意味です。

中国の諺には「知足常楽 能忍自安」という言葉があるようです。
「足るを知れば常に楽しく、よく忍べば自ら安らぐ」と読みます。
不満不足は欲から生じるもの、現状に満足すれば楽しく暮らせる。
不足を辛抱忍耐すれば平穏な生き方ができる。
ということです。

人間は衣食住、全てにおいて好いものを求め欲しがります。
自分より好い生活やいい物を持っていると羨む。
人間の欲には限りがありません。

欲望を追い続ける限り、結局、人は幸せにならないのですね。


この書は高野山真言宗総本山 金剛峯寺 第408代座主、同別格本山 持明院住職、
故竹内崇峯(すうほう)大僧正猊下の肉筆である。
勿論、前出中川義博大兄の所有物である。

第406代座主は、三幅で紹介した森寛紹猊下、その二代後の座主である。
森寛紹猊下が金剛峯寺の座主だった時、竹内猊下は大僧正として
「寺務検校執行法印」を務めていた。
法印とは弘法大師の身代わりとなって山内行事の導師を務める、という
高野山内だけに関する宗教上の象徴的な重職です。

平成2年11月15日、第408代座主に就任、平成6年11月14日までの4年間座主を務めた。
竹内崇峯猊下と言えは、高野山奥の院浄域にお釈迦様のご遺骨(佛舎利)をお祀りした
「佛舎利宝塔」を建立されたことで世に知られている。

中川大兄は懇意だった故蓮生善隆氏(真言宗善通寺派前管長)から紹介を受けている。
蓮生氏と竹内猊下は高野山大学で同級生の好であった。
こうしたことから中川大兄と竹内猊下との間には長いお付き合いがあった。

この書は座主を退任された後、記念として竹内猊下から賜ったものである。
だから作者名には前管長と、落款白文印にもそう記されている。

それにしても大兄の世に知れた賢人との知遇、その多さは感服の至りであります。

「知足」いい言葉です。
座右の銘の一つに加えました。
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[ 2017/04/26 05:37 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

山光澄我心(さんこうわがこころすむ)

谷内軸 001_convert_20170422080758.jpg 005_convert_20170422080941.jpg

「山全体の美しい景色は、私の心を清らかに澄ませる」という意味である。
我々人間は古来、自然に対して畏敬の念を払い、四季折々の花鳥風月を愛で、
自然と共に生きてきた。
手つかずの自然は究極の美である。

特に雄大な山のような大自然と向かい合うと、心が澄み切るだけでなく、
小さな人間界をも離れてきます。 いわば師なのですね。

時あたかも“新緑”の季節です。
この自然が織りなす景色を見ていると心が澄んでいくような気がします。
今の時節にぴったり合う禅語ではないでしょうか。



この書は元高野山真言宗別格本山・神護寺住職、谷内乾岳(たにうち・けんがく
=1939年~2004年)猊下の直筆である。
勿論中川義博大兄が猊下から拝領したものである。

神護寺(じんごじ)は、京都市右京区高雄にある高野山真言宗遺迹(ゆいせき)
本山の寺院で、山号は高雄山。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂である。
弘法大師、空海は東寺や高野山の経営に当たる前に一時住した寺であり、
最澄もここで法華経の講義をしたことがあるなど、日本仏教史上重要な寺院である。

高雄といえば紅葉の名所である。
昭和も終わる63年の秋、大兄は紅葉も兼ねてこの寺を訪ねた。
紅葉は驚くほど見事だったが人また人でじっくり参拝できず、翌2月極寒の中、
再訪したのである。参拝客は誰もいなかった。

静寂の中、猊下は一人本堂で、お経を唱えていた。
合掌に合わせ“お鈴”を打ってくれ、そして本堂にどうぞと案内されたのである。

猊下は最澄が空海に頭を下げて教えを乞いにきたこと、
その後叡山の仕事が忙しくなり、次第に弟子をよこすようになったこと。
同時期に唐に渡り修業した二人、最澄は一足先に唐から帰国し、栄光の座についたが、
空海が密教文化の真髄を持ち帰り、やがて最澄がひざを屈することになり、
両者の間に破局が訪れたことなどを話して下さったのである。

わが国宗教史の上で重要な古記録、空海直筆の「灌頂歴名」(かんじょうれきめい)、
国宝であるのでレプリカであったが拝観できた。
812年冬と813年春に神護寺で空海から仏の位に達した人に与えられた人の歴名である。

最も驚いたことは、通常は非公開の多宝塔に案内されたことだ。
有難くも平安時代作の本尊・五大虚空菩薩像(国宝)を猊下直々のご説明で拝観できた。

その後、猊下の居間にも通され、空海の関すること、人の生き方など様々なことについて
教えを賜った。 究極の一期一会だった。
その後、毎年極寒時に訪寺し、猊下と親しく高談したのである。

正に“師”である。
お軸はその縁で拝領したものである。

大兄は参拝客が一人だったこと、空海誕生の地から来られたこと、善通寺ともご縁が
あったことなども幸いしたと言われたが、信心、人徳なのであろう。
[ 2017/04/22 08:20 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

森寛紹大僧正猊下 直筆三幅

まずはじっくりとご覧いただきたい。

三幅

高野山真言宗元管長総本山金剛峯寺第406代座主 森寛紹大僧正猊下の直筆です。


森寛紹猊下略歴

1899(明治32)年、愛媛県温泉郡重信町(現:東温市)で生を受ける。
           12歳の時に高野山普賢院の住職であった叔父-寛勝和尚を頼り、
           高野山に上がり、普賢院に入寺して剃髪、僧侶の修行の道に入る。
1925(大正14)年、関西大学法学部卒、高野山大学入学。
1942(昭和17)年、大阪・普賢院住職、のち宝聚院住職。
1949(昭和24)年、「ホトトギス」同人になる。学生時代から高浜虚子に師事。
1972(昭和47)年、高野山第473世寺務検校執行法印。
1980(昭和55)年10月、全国1500万檀信徒の最高位である高野山真言宗管長・
              高野山真言宗総本山金剛峯寺第406世座主に就任。
1984(昭和59)年、50年毎の弘法大師御入定御遠忌大法会で導師を務める。
1994(平成6)年12月26日 遷化(享年96歳)。


読者の皆さんはもうお分かりだろう。
そうです。中川義博大兄が所有されている軸物です。
猊下として二幅、俳人としての一幅という形で三幅揃っているのは、
極めて珍しく貴重な代物です。

何故著名な高僧のお軸を三幅も所有されているのだろうか?
何と、頂いたものだという。
今から24年も前、1993(平成5)年の10月24日、
中川さんは5度目の高野山に参拝していた時のことである。
普賢院を散策中に芭蕉堂(寛紹猊下建立)の前にある句碑に目が留まった。


博象碑普賢院HP

平凡を倖せとして去年今年 白象

“平凡に生きることこそ、貴い生き方なのだ、非凡な日常の中に幸せがある”
まるで私の今の心境そのものと暫く思いにふけっていた。

近くに若い僧侶がいたので、「白象ってどなたですか?」と聞いた。
僧侶は「当院の御前様です。書き写さなくてもいいですよ」といい、院から句を染め抜いた
日本タオルを持ってきた。「どうぞ」と差し出した。
「おいくら差上げたらいいでしょうか?」と問うと、笑いながら「差し上げます」という。

「白象」とは森寛紹猊下のこと、「仏の道も、俳句の道も誠を求めることで相通じる」と
学生の時から尊敬する子規の門下となり、ホトトギス派の俳人になったのだ。
俳号は12歳で入寺した普賢院の普賢菩薩が白象にのっているのに因んだものと
初めて知った。

この偶然の出会いに感謝感激し、丁寧に何度もお礼をいい、下山したのである。

「慚愧の繰り返しはもう止めよう。これからは平凡の中に仏性を培い、日々実践しよう。
去年今年、四国遍路もその一環だ」私は肩の荷が下りたような気がした。

帰宅後、早速お礼の手紙に俳句に救われた想いを綴って普賢院に出したのである。

翌11月、普賢院の森寛勝法主から封書が届けられた。
それには祖父、寛紹からですと、直筆の色紙とお軸が入っていた。


寿1 寿2

祖父が筆を執るのはこれが最後となるでしょうとも書かれていた。
絶筆!!「寿」の一字である。
父母からいただいた限りなき、量りなき、寿の命、無量寿(むりょうじゅ)だ。

松陰の言葉が頭をよぎった。
「人には長かれ短かれ四季、春夏秋冬がある。私の命はここで尽きるが実りがある」

単なるお礼の手紙に対して・・こんな有難いことがあっていいのだろうか。
書の下には九十六歳の書とある。
1年後の平成6年暮れに猊下は遷化されたのである。  合掌

その後も森寛勝法主と折に触れ親交が続いた。

平成7年8月、二本目のお軸を拝領した。

仏心1 仏心2

「佛心」、 猊下九十二歳の書である。

字の如く、仏のこころ、心とはさとりのこと。大慈悲である。
平凡の中にも慈悲の実践を忘れないよう生きなければと思う。

平成10年8月、三本目のお軸を拝領した。

金泥1 金泥2

金泥の夢の一字の京扇子 白象

今回は俳人として詠んだ句だった。
添え書きに、「京舞井上流第四世家元井上八千代の踊りを見て詠んだ句です」とある。
夏に東寺に赴いた折にでも京舞を楽しんだのであろうか。

※四世家元井上八千代(1905(明治38)年~ 2004(平成16)年

人は心があるから夢も希望もある。逆に苦悩も絶望もある。正に表裏一体だ。
私は苦悩していた時に“平凡を倖せとして去年今年”の句碑に出合い救われた。
一日一日を平凡に生きる、夢と希望を持って生きようと思う。

中川大兄の説明を聞くにつれ、三幅それぞれの意味するところに感銘を受けたが、
反面羨ましい気もした。日頃の信心と行動の差なのであろう。

普賢院との交流は今なお続いているという。

而今の連鎖が、私たちの一生へと連なっていく。
平凡の中の幸せを噛みしめ、遊行期となった人生を生きたいと改めて思ったのである。

[ 2017/04/13 16:53 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

日本美術家連盟香川作家展(高松市美術館)

日本美術家連盟に所属する香川県在住の作品を集めた初めての
作家展が高松市美術館で開かれている。

その中に知合いの作家が二人いる。
その一人から案内状を頂いた。
先だっても岡山・高島屋で氏の個展を見たところであるが行かざるをえない。

洋画、日本画、彫刻の10名の作品、50点が会場一杯に出されている。
休みもあってか沢山の人で賑わっていた。

当然撮影禁止なので、パフで一部を紹介する。

作家展

作品はF50号 (1167x910)~F200(2590x1940)、100、200が主流。
最近の絵画は大きい物ばかりだ。

妻鳥健氏は6点、廃工場の鉄骨を描いた作品3点は以前見たもの。
鳴門の若布船を描いたはお初、月や猫も小さく配しうならせる。

水澤正信氏は4点。水牛にのり、憤怒の表情を浮かべた大忿怒は凄い迫力がある。

「永劫の思惟」と題する葛西崇氏の5点はいずれもアクリルで幾何学的な抽象画で
仏像を描き、これも迫力満点だ。

妻鳥氏と談笑していると、会社の同期とばったり出会った。
彼は会社が1991年に設立した文化振興財団で5年も在籍していた関係だけに
造詣が深い。自身も絵画を描いている。

文化振興財団といえば、曽根三千代さんは奨学生だった関係で私が研修所にいた時、
寄贈いただいた。
その時から濃淡のブルーを基調に、風と光をイメージした抽象のアクリル画を描いていた。
今も追い続けている。作品は他の奨学生の作品とともに研修所の入口に掲げられている。
新装なった研修所を文化の香り高い教育の場にしたかったのである。

見終わって彼の案内で隣接する画廊喫茶「三光館」でしばらく話し込んだ。
ここの店主は先輩二人と同級生ということだったが、若い。

流木や廃材、フジツボを利用した造形作家、四宮 龍氏の案内で
作品を見せていただいた。イラストも春らしく女子好みでひきつけられる。
今後の活躍を大いに期待したい。

彼とは4月の同期会で又会おうということで別れたがコーヒー代の支払を忘れた。
彼が払ったのだろう。
又会う時に、年だな~、でも久しぶりに楽しい一時だった。
[ 2017/03/19 15:39 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

讃岐一刀彫~ミニ達磨~

根付

尊敬する中川義博兄から讃岐一刀彫の「ミニ達磨」を頂いた。
“病気治癒の魔除けにどうぞ”というわけだ。
何と有難いことか、四国霊場への祈念といい感謝の念に堪えない。

香川県には伝統的工芸品が多くある。
国指定の「香川漆器」、蒟醤(きんま)・彫漆(ちょうしつ)、存清(ぞんせい)、後藤塗、象谷塗
の五つと「丸亀うちわ」は全国的に有名である。

その他にも木工・竹細工、一閑張、焼物、石製品、織物、染物、人形をはじめ、
数多くの伝統的工芸品がある。

一刀彫は宮大工が御残材を使って大黒などを彫り始めたのが起源といわれている。
伊勢や奈良、飛騨が有名であるが、どっこい讃岐を忘れて貰っては困る。
讃岐一刀彫は1837(天保8年)年、金刀比羅宮の旭社建立時に、全国から集まった
宮大工が彫の腕を競い合ったのが始まりと言われている。

素材はクスノキかトチの木、10年以上自然乾燥させた材を用い、
多彩なノミを駆使して彫ったものである。

頂いたのは達磨の根付である。
他には観音様、七福神、般若、天狗など縁起物が多い。
横15㎜、縦22㎜のごく小さいものであるが、見ての通り一刀一刀ノミの跡がある。
手彫り、一つ間違えばそれで一貫の終わりである。
彫るのには相当の熟練と集中力がいると思う。
一つひとつが世界に一つしかないのである。

彫られたのは元同僚の方である。
彫っている時は無心で居られるという。
また、その方が彫られたものには縁起がいいという言い伝えがあるそうだ。
何とその一つを頂いたのである。
貴重でこれほどありがたいことがあるだろうか。
私は一面識もないが、この場を借りて感謝申し上げたい。
お守りとして常に所持しておきます。

中川さんはお遍路旅の魔除けのオマジナイに携帯されるという。
併せて頂いた七福神の一つ「福緑寿(ふくろくじゅ)」は家に飾るのだそうだ。
きっと三徳が宿るだろう。
[ 2017/02/26 12:23 ] 作品 | TB(0) | CM(0)