俳句・柳壇~四国新聞選~

3日付の地元四国新聞の特集に興味が引かれた。
新年読者文芸の俳壇・柳壇に同級生2人が入選されていた。

この道を北風に抗ひつつ歩く
天空になきし結界落葉掃く


原連君の句である。先の句は最高位の第1席に選ばれた。
選者の評は、「目的地までこの道を行くしかない。正面から北風を受けても抗(あらが)いつつ歩く。作者の来し方もそうだったのであろうか、潔い人となりもうかがえる。」と記してある。

惑星の自転公転年明くる
初神籤言はぬ本音を当てられし


明田紘子さんの句である。先の句は秀逸に選ばれた。
お二人とも元は近所、一昨年の同窓会でお会いした。
親しく話したがこんな趣味があるとは言わなかった。
能ある鷹は・・・また紙面でお目にかかりたい。

当然この方の句も入選されている。

細やかな夢も果たせず年の暮

中川義博大兄の句である。
細やかどころか、私には大きな生きる希望と夢を与えて下さっている。
間もなく28回目の四国八十八ケ所巡礼をスタートされる。
ご本人は「同人二十八人」と命名しているが、ご安全にと願うばかりである。

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[ 2018/01/04 11:03 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

石榴(ザクロ)

ざくろ 母絵 母が描いた「石榴」

ま二つに割れてこぼれず石榴の実(鷹羽狩行)

ザクロ、庭木として植えられていた。
秋になると実が割れ真っ赤な粒が顔を出す。
甘酸っぱくて美味しいからと言われたが、何だか不気味に感じ食べなかった。

ザクロは漢字で表記すると、「石榴」もしくは「柘榴」。
日本へは平安時代に中国から朝鮮半島を経由して渡来してきた。

五月雨にぬれてやあかき花柘榴 (志太野坡)

初夏にオレンジ色の花が咲きます。
美容や健康によい、「女性の果実」と一時ブームになりましたが・・今は?

実柘榴の笑ひ初めたる鬼子母神 (関根洋子)

1/18付のブログで鬼子母神(窪田東堂作)を紹介した。
ザクロは鬼子母神と強いつながりがある。
鬼子母神は天女の姿をし、左手で子供を抱いて、右手に吉祥果(きちじようか)を持っている。
吉祥果とは魔障を払う果実のことで縁起のいい果物のことです。
ザクロの実は沢山の小さな実があり、それぞれに小さな種を持っていることから、
古来より子孫繁栄をあらわす果物として「吉祥果」と言われているのです。
[ 2017/09/13 07:03 ] 作品 | TB(0) | CM(4)

福禄寿

福禄寿 70㎜×35㎜

中川義博大兄から一刀彫の「福禄寿」を頂いた。
以前、ご友人のDさんが彫ったと根付の「ミニ達磨」を頂いた。(2月26日付ブログ)
今回もその方の作品である。

二つ頂いたが一つは私にと忖度して下さった。

福禄寿は七福神の一つ。
福は幸福、禄は俸禄、寿は長寿の三徳を具現化したものである。

禿げた長頭に豊かな白髭をたくわえた、背の低い老人である。
見ての通りきめ細かく見事に彫られている。

大変な人徳をもった神さまである。
誰もがこのようになりたいと願うが、とてもとてもこの全てが備わるのは難しい。

寿

底に「寿」と彫ってある。
私の病気治癒、健康長寿を願ってのことと、有難く頂戴した。

感謝の念に堪えません。
この場を借りてお礼申し上げます。

檜の良い香りがする。さて、どこに祀っておこうか。
[ 2017/07/21 17:45 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

五百羅漢 戯画戯語

窪田 羅漢

中川義博大兄から、長年のご友人であった仏教版画家「窪田東堂」氏の著。
「羅漢 戯画戯語 春夏秋冬」を頂いたことを、先月5月30日に紹介した。

羅漢(らかん)とは、阿羅漢 (あらかん)の略称。
仏教において、釈迦の教えを受け、人々から尊敬や施しを受けるに相応しい
聖者(資格のある人)のことである。

五百羅漢とはその500人の弟子ということである。
羅漢信仰は平安時代に日本へ伝えられたと言われ、鎌倉時代以降、隆盛をみた。
特に江戸時代以降、各地に彫像や絵画がつくられて、全国規模の隆盛を見せた。

窪田氏が彫った版画は剃髪し,袈裟を着た僧形で表わされている。
「戯画」というだけあって、太っている者、痩せている者、天空を仰いでいる者、
笑う者、泣く者、怒る者、おとぼけや困った顔など、
一体一体がさまざまな面相と姿態をしており、喜怒哀楽の表情は見ていて面白い。

「戯語」も含蓄がある。ふざけた言葉はない。
500全てそれぞれが名言である。
全て紹介したいが、私が生き方と共鳴したベスト15を挙げる。
1の「あの世でも・・」 は中川大兄も意見一致であった。

1. あの世でも、お国訛りと、醤油豆と、うどんでお願いします。
2. やるなら今しかない。一大事とは、今日、只今のこころじゃ。
3. 知る者も、好む者に敵わず、好むとて楽しむ者に勝てぬ。
4. 絵がある。詩がある。そんな言の葉を祈り継ぎ、語り継ぎたい。
5. 気付く、忘れる。気付く、忘れる。気付いて、生涯が勉強。
6. 人間は尊厳の紡ぎ物。人間は感性の染物。人間は習慣の織物。その包物。
7. どなた様にも一会の縁。座らさせていただいた石にも合掌する。
8. 好いことも、悪いことも、何時までも続きはせん。それを無常という。
9. 生き方が少しわかり、時を惜しむ笹船の流れが速くなった。
10. 淡いものは嬉しい。土地の地味が食える。季節の温度が食える。
11. 花鳥に遊ぶ。山水に遊ぶ。風月に遊ぶ。自分にだって遊ぶさ。
12. 今生は病む生。口から心から、大事をとる習慣を身につける。
13. 才能は誰にもある。どこで活力をつけて、発揮する場を持つかだけや。
14. 自分の中に、自分の知らん自分を見付けたら、それが自分の可能性や。
15. 年齢を尋ねてはおらん。どこを歩いて来たかを聞いておる。

NO1NO2NO3
NO4NO5NO6
[ 2017/06/20 10:10 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

仁和寺(にんなじ)門跡の書

昨日、川津の花菖蒲を訪問し、ブログに掲載した。
早速坂出の方からメールを頂いた。
何時も訪問して頂いているとのこと、有難く励みになる。
感謝申し上げたい。

さる5月30日に仁和寺門跡の書を機会があれば紹介したいと記載した。
中川大兄宅に訪問し拝見。承諾を得たので披露する。


仁和寺「きぬかけの路」より

仁和寺は、京都市右京区御室(おむろ)にある真言宗御室派総本山の寺院で、山号を大内山と称す。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。
光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御された。遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、「西山御願寺」と称されたが、やがて年号をとって仁和寺と号した。
宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室御所」の別称がある。明治時代に至るまで、皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務めた寺である。
御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。吉田兼好の徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。
また、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。


仁和寺図「きぬかけの路」より

約9万㎡の境内には、金堂(国宝)をはじめ、観音堂、経蔵、御影堂、鐘楼、五重塔、中門を所有する。庭園には、南庭、北庭、光格天皇遺愛の茶室飛濤亭、尾形光琳屋敷を移築した遼廓亭、歴代天皇の位牌を祀る霊明殿がある。

仁和寺には弘法大師空海が書いた「三十帖冊子」に代表される経典類、医書類、歴史史料や日記類など、莫大な古文書類が残されている。 また門跡寺院として、高倉天皇、後嵯峨天皇、後醍醐天皇といった貴重な天皇の書(宸翰)を多く所蔵している。

余談であるが空海の「三十帖冊子」には色々と因縁がある。
そもそも、この冊子は真言宗全体の総本山の東寺の経蔵にあって閲覧できない不文律物であった。空海亡き後、高野山を任された空海の甥「真然(しんぜん)讃岐生」が、師である空海の弟で東寺の「真雅(しんが)同讃岐生」から借覧し返さなかったのである。
東寺は再三返還を迫ったが高野山は返還を拒んだため、あぐねた東寺は藤原仲平(姉は宇多天皇の夫人、妹は醍醐天皇の皇后)の力を借り、取り戻し宝物として厳重に保管したのである。その後源平合戦の終局を迎えた1186年、仁和寺の第6世、守覚法親王(後白河天皇の第2皇子)が借覧して返却をしないまま今に至っているという。
(Wikipedia、中川氏談より)

前置きがながくなったが、中川義博氏が所有する仁和寺門跡の書を紹介したい。
第41世森門跡は知人から、以外は先に紹介した城福寺(庄原市)の小田住職を介して拝領したものである。


●第41世 森諦円(もりたいえん):昭和42年7月26日~ 52年7月25日退

森扇子森扇子落款

如意宝」とは如意宝珠(にょいほうじゅ)のことであり、単に宝珠とも呼ばれる。
“意のままに願いをかなえる宝” 全ての物事を思うとおりに叶えてくれるという珠で如意輪観音、馬頭観音、地蔵菩薩などの持物である。特に真言宗などの密教で重んじられる。


森諦円師の略歴
1901(明治34)年香川県三豊市生。真言宗京都大学卒。昭和17年から5年間仁尾町議会議員。覚城院第57世住職。昭和27年仁和寺教学部長、37年宗務総長、執行長を経て、42〜52年管長、仁和寺門跡、華道御室派総裁を勤める。また種智院大学長も勤めた。能書家としても有名。1990(平成2)年遷化。


●第42世 小田慈舟(おだじしゅう):昭和52年7月26日~53年4月28日化

小田清風

「清風」とは一般的にはさわやかな風、すがすがしい風と解釈される。
密教学の権威の方が書かれた言葉である。深い意味が込められているのであろう。
清風とは言い換えれば“仏心”ということではないか!
人間は色々な悩みを抱え生きているが、誰にでも澄みきった心である仏性を持っている。
全てのこだわり、とらわれを払拭した無我・無心の境地になった時には心に清風が吹く。
“心に吹く風”だと解釈したい。自己をもっと深く探求したいものである。


小田慈舟師の略歴
1890(明治23)年広島県比婆郡生。真言宗連合京都大(現種智院大)卒。明治42年京都神護寺で伝法灌頂(かんじょう)をうける。昭和13年高野山大教授、24年種智院大教授。「密教大辞典」「真言宗全書」をまとめる。
52年仁和寺門跡、翌年真言宗御室派管長。1978(昭和53)年遷化。


●第45世 松村祐澄(まつむらゆうちょう):昭和63年6月23日 ~平成5年6月22日退

松村 洗心

「洗心」。寺院の手水舎のところに「洗心」と書かれているのをよく目にします。
文字通り心の塵を洗いおとすこと、心の煩累を洗い去り浄めることです。
出典は、中国の古典「易経(えききょう)」の 「聖人以此洗心(聖人は此を以って心を洗う)」からです。
清風と相通じる言葉である。今の政治・社会には“心を洗って出直せ”と言いたくなることが多すぎる。
わが家の座敷には「洗心亭」と書いた扁額がある。
明治の政治家、書家である巌谷 一六(いわや いちろく)氏が命名してくれたのである。
時には座敷で座禅して自分と向き合いたいと思う。


松村祐澄師の略歴
1919(大正8)年香川県東かがわ市生。千光寺住職、昭和23年境内に恵愛保育所開設。
2008(平成20)年遷化。


●第46世 吉田裕信(よしだゆうしん):平成5年6月23日~10年6月22日退

吉田 忍

「忍」。「忍の一字」とよく言うが、自分の感情をおさえて、こらえる。がまんすることである。
仏教では「忍辱(にんにく)」とも言われ、六波羅蜜の一つで、修行の大切な徳目の一つとされている。何事も、心を動かさず、耐え忍ぶことによって成しとげられると説く。
現代人は直ぐにキレる。忍はすっかり衰えてしまった。忍とは認めることなのだ。


吉田裕信師の略歴
1929(昭和4)年広島生。14年宮島大聖院にて出家得度。24年京都専門学校(現種智大学)、27年龍谷大学卒業。38年大本山大聖院座主就任。61年より平成2年まで真言宗御室派宗務総長・総本山仁和寺執行長を勤める。平成5年仁和寺第四十六世門跡・真言宗御室派管長・大僧正に就任。1998(平成十)年遷化。


●第50世 立部祐道(たてべゆうどう):平成25年6月22日~

建部 道叶義方

「道叶義方」(みちはぎほうにかなう)義方とは義にかなうこと。
仏教で言う「義」とは五常(仁・義・礼・智・信)の一つである。
正しい行い、正義を守ること、わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くすことである。
“義を貫く”、人の正しい生き方は正義を貫いてこそ成り立つのです。
昔、正義の味方なんてあったが、今は正義が歪められていることが多いですね。


立部祐道師の略歴
1940(昭和15)年広島県尾道市生、龍谷大卒。1956(昭和31)年に出家得度。
福岡県宗像市の鎮国寺住職から真言宗御室派宗会議員を経て2013(平成25)年から仁和寺門跡・御室派管長を勤める。
[ 2017/06/14 16:42 ] 作品 | TB(0) | CM(0)