五百羅漢 戯画戯語

窪田 羅漢

中川義博大兄から、長年のご友人であった仏教版画家「窪田東堂」氏の著。
「羅漢 戯画戯語 春夏秋冬」を頂いたことを、先月5月30日に紹介した。

羅漢(らかん)とは、阿羅漢 (あらかん)の略称。
仏教において、釈迦の教えを受け、人々から尊敬や施しを受けるに相応しい
聖者(資格のある人)のことである。

五百羅漢とはその500人の弟子ということである。
羅漢信仰は平安時代に日本へ伝えられたと言われ、鎌倉時代以降、隆盛をみた。
特に江戸時代以降、各地に彫像や絵画がつくられて、全国規模の隆盛を見せた。

窪田氏が彫った版画は剃髪し,袈裟を着た僧形で表わされている。
「戯画」というだけあって、太っている者、痩せている者、天空を仰いでいる者、
笑う者、泣く者、怒る者、おとぼけや困った顔など、
一体一体がさまざまな面相と姿態をしており、喜怒哀楽の表情は見ていて面白い。

「戯語」も含蓄がある。ふざけた言葉はない。
500全てそれぞれが名言である。
全て紹介したいが、私が生き方と共鳴したベスト15を挙げる。
1の「あの世でも・・」 は中川大兄も意見一致であった。

1. あの世でも、お国訛りと、醤油豆と、うどんでお願いします。
2. やるなら今しかない。一大事とは、今日、只今のこころじゃ。
3. 知る者も、好む者に敵わず、好むとて楽しむ者に勝てぬ。
4. 絵がある。詩がある。そんな言の葉を祈り継ぎ、語り継ぎたい。
5. 気付く、忘れる。気付く、忘れる。気付いて、生涯が勉強。
6. 人間は尊厳の紡ぎ物。人間は感性の染物。人間は習慣の織物。その包物。
7. どなた様にも一会の縁。座らさせていただいた石にも合掌する。
8. 好いことも、悪いことも、何時までも続きはせん。それを無常という。
9. 生き方が少しわかり、時を惜しむ笹船の流れが速くなった。
10. 淡いものは嬉しい。土地の地味が食える。季節の温度が食える。
11. 花鳥に遊ぶ。山水に遊ぶ。風月に遊ぶ。自分にだって遊ぶさ。
12. 今生は病む生。口から心から、大事をとる習慣を身につける。
13. 才能は誰にもある。どこで活力をつけて、発揮する場を持つかだけや。
14. 自分の中に、自分の知らん自分を見付けたら、それが自分の可能性や。
15. 年齢を尋ねてはおらん。どこを歩いて来たかを聞いておる。

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[ 2017/06/20 10:10 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

仁和寺(にんなじ)門跡の書

昨日、川津の花菖蒲を訪問し、ブログに掲載した。
早速坂出の方からメールを頂いた。
何時も訪問して頂いているとのこと、有難く励みになる。
感謝申し上げたい。

さる5月30日に仁和寺門跡の書を機会があれば紹介したいと記載した。
中川大兄宅に訪問し拝見。承諾を得たので披露する。


仁和寺「きぬかけの路」より

仁和寺は、京都市右京区御室(おむろ)にある真言宗御室派総本山の寺院で、山号を大内山と称す。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。
光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御された。遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、「西山御願寺」と称されたが、やがて年号をとって仁和寺と号した。
宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室御所」の別称がある。明治時代に至るまで、皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務めた寺である。
御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。吉田兼好の徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。
また、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。


仁和寺図「きぬかけの路」より

約9万㎡の境内には、金堂(国宝)をはじめ、観音堂、経蔵、御影堂、鐘楼、五重塔、中門を所有する。庭園には、南庭、北庭、光格天皇遺愛の茶室飛濤亭、尾形光琳屋敷を移築した遼廓亭、歴代天皇の位牌を祀る霊明殿がある。

仁和寺には弘法大師空海が書いた「三十帖冊子」に代表される経典類、医書類、歴史史料や日記類など、莫大な古文書類が残されている。 また門跡寺院として、高倉天皇、後嵯峨天皇、後醍醐天皇といった貴重な天皇の書(宸翰)を多く所蔵している。

余談であるが空海の「三十帖冊子」には色々と因縁がある。
そもそも、この冊子は真言宗全体の総本山の東寺の経蔵にあって閲覧できない不文律物であった。空海亡き後、高野山を任された空海の甥「真然(しんぜん)讃岐生」が、師である空海の弟で東寺の「真雅(しんが)同讃岐生」から借覧し返さなかったのである。
東寺は再三返還を迫ったが高野山は返還を拒んだため、あぐねた東寺は藤原仲平(姉は宇多天皇の夫人、妹は醍醐天皇の皇后)の力を借り、取り戻し宝物として厳重に保管したのである。その後源平合戦の終局を迎えた1186年、仁和寺の第6世、守覚法親王(後白河天皇の第2皇子)が借覧して返却をしないまま今に至っているという。
(Wikipedia、中川氏談より)

前置きがながくなったが、中川義博氏が所有する仁和寺門跡の書を紹介したい。
第41世森門跡は知人から、以外は先に紹介した城福寺(庄原市)の小田住職を介して拝領したものである。


●第41世 森諦円(もりたいえん):昭和42年7月26日~ 52年7月25日退

森扇子森扇子落款

如意宝」とは如意宝珠(にょいほうじゅ)のことであり、単に宝珠とも呼ばれる。
“意のままに願いをかなえる宝” 全ての物事を思うとおりに叶えてくれるという珠で如意輪観音、馬頭観音、地蔵菩薩などの持物である。特に真言宗などの密教で重んじられる。


森諦円師の略歴
1901(明治34)年香川県三豊市生。真言宗京都大学卒。昭和17年から5年間仁尾町議会議員。覚城院第57世住職。昭和27年仁和寺教学部長、37年宗務総長、執行長を経て、42〜52年管長、仁和寺門跡、華道御室派総裁を勤める。また種智院大学長も勤めた。能書家としても有名。1990(平成2)年遷化。


●第42世 小田慈舟(おだじしゅう):昭和52年7月26日~53年4月28日化

小田清風

「清風」とは一般的にはさわやかな風、すがすがしい風と解釈される。
密教学の権威の方が書かれた言葉である。深い意味が込められているのであろう。
清風とは言い換えれば“仏心”ということではないか!
人間は色々な悩みを抱え生きているが、誰にでも澄みきった心である仏性を持っている。
全てのこだわり、とらわれを払拭した無我・無心の境地になった時には心に清風が吹く。
“心に吹く風”だと解釈したい。自己をもっと深く探求したいものである。


小田慈舟師の略歴
1890(明治23)年広島県比婆郡生。真言宗連合京都大(現種智院大)卒。明治42年京都神護寺で伝法灌頂(かんじょう)をうける。昭和13年高野山大教授、24年種智院大教授。「密教大辞典」「真言宗全書」をまとめる。
52年仁和寺門跡、翌年真言宗御室派管長。1978(昭和53)年遷化。


●第45世 松村祐澄(まつむらゆうちょう):昭和63年6月23日 ~平成5年6月22日退

松村 洗心

「洗心」。寺院の手水舎のところに「洗心」と書かれているのをよく目にします。
文字通り心の塵を洗いおとすこと、心の煩累を洗い去り浄めることです。
出典は、中国の古典「易経(えききょう)」の 「聖人以此洗心(聖人は此を以って心を洗う)」からです。
清風と相通じる言葉である。今の政治・社会には“心を洗って出直せ”と言いたくなることが多すぎる。
わが家の座敷には「洗心亭」と書いた扁額がある。
明治の政治家、書家である巌谷 一六(いわや いちろく)氏が命名してくれたのである。
時には座敷で座禅して自分と向き合いたいと思う。


松村祐澄師の略歴
1919(大正8)年香川県東かがわ市生。千光寺住職、昭和23年境内に恵愛保育所開設。
2008(平成20)年遷化。


●第46世 吉田裕信(よしだゆうしん):平成5年6月23日~10年6月22日退

吉田 忍

「忍」。「忍の一字」とよく言うが、自分の感情をおさえて、こらえる。がまんすることである。
仏教では「忍辱(にんにく)」とも言われ、六波羅蜜の一つで、修行の大切な徳目の一つとされている。何事も、心を動かさず、耐え忍ぶことによって成しとげられると説く。
現代人は直ぐにキレる。忍はすっかり衰えてしまった。忍とは認めることなのだ。


吉田裕信師の略歴
1929(昭和4)年広島生。14年宮島大聖院にて出家得度。24年京都専門学校(現種智大学)、27年龍谷大学卒業。38年大本山大聖院座主就任。61年より平成2年まで真言宗御室派宗務総長・総本山仁和寺執行長を勤める。平成5年仁和寺第四十六世門跡・真言宗御室派管長・大僧正に就任。1998(平成十)年遷化。


●第50世 立部祐道(たてべゆうどう):平成25年6月22日~

建部 道叶義方

「道叶義方」(みちはぎほうにかなう)義方とは義にかなうこと。
仏教で言う「義」とは五常(仁・義・礼・智・信)の一つである。
正しい行い、正義を守ること、わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くすことである。
“義を貫く”、人の正しい生き方は正義を貫いてこそ成り立つのです。
昔、正義の味方なんてあったが、今は正義が歪められていることが多いですね。


立部祐道師の略歴
1940(昭和15)年広島県尾道市生、龍谷大卒。1956(昭和31)年に出家得度。
福岡県宗像市の鎮国寺住職から真言宗御室派宗会議員を経て2013(平成25)年から仁和寺門跡・御室派管長を勤める。
[ 2017/06/14 16:42 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

蓮生善隆大僧正猊下、掛軸二幅

再びお軸の紹介である。
今回は真言宗善通寺派管長、総本山善通寺法主を務められた蓮生善隆大僧正猊下の書。
勿論中川義博大兄から見せて頂いたものである。
これまで随分このブログで紹介してきた。
ご本人は“仏天の恵み”と言われるが、日本を代表する高僧の書を幾つ持っていられるのだろうと不思議に思う。
何れも今頃の季節、爽やかな初夏にふさわしい書である。
ご配慮が何とも嬉しい。


蓮生善隆お軸


●閑林独坐草堂暁(かんりんどくざす そうどうのあかつき)

空海の漢詩、「後夜聞仏法僧鳥(こうや ぶっぽうそうちょうをきく)」からの書である。

閑林独座草堂暁(かんりんどくざす そうどうのあかつき)
三宝之声聞一鳥(さんぽうのこえ いっちょうにきく)
一鳥有声人有心(いっちょうこえあり ひとこころあり)
声心雲水俱了了(せいしんうんすい ともにりょうりょう)


(意訳)
「暁のころ静かな林の草堂に独り静かに座って瞑想にふけっていると、仏・法・僧(ブッ・ポウ・ソウ)と三宝を一度に鳴く鳥の声が聞こえてくる。鳥は無心に鳴いているのだろうが、人には心がある。声と心が雲と雲水であるこの私に溶け込んでいる。共に了了である」


注)お題の後夜とは夜明け早朝5時頃。草堂とは高野山に構えた住房の竜光院。了了とは明瞭なこと。

弘法大師空海が還暦を迎え、高野山での澄んだ心境を詩った漢詩である。
題の「後夜」は「高野」とも読める。
大宇宙、自然界、人間系が共存し、命の繋がりの中で、互いに生かし生かされていることの素晴らしさと、有難さを詠みあげたものである。
悟りの心境とでもいえる。
“ブッ・ポウ・ソウ”と鳴く鳥の正体は長く謎とされてきたが、フクロウ目の「コノハズク」と判明。
実際は“ゲッゲッゲッ”と鳴くそうだ。
しかし空海はそう聞こえたのであろう。

仏法僧とは、仏教の三つの宝で、仏宝(釈迦)・法宝(説教)・僧宝(修法者)をいう。
この漢詩は空海の詩の中で最もポピュラーで、詩吟として好まれ、よく謡われる。
我々はついつい物欲的生活に追われ、精神的な心の安らぎを忘れがちである。
時あたかも新緑の季節、俗世間から離れ、大自然の中で自分を見つめはいかがか。


●清流無間断(せいりゅうかんだんなく)

この後に「碧樹不曽凋(へきじゅかつてしぼまず)」と対句がある。

禅家ではこの句を好んで用いており、よく知られた禅語である。
「清らかな水は絶え間なく流れており 青々とした木はいちども葉を枯らしたことが無い」
の意である。初夏にぴったりです。

清流は絶え間なく流れるから清流なのですね。止まっていては淀んでしまいます。
常に行動していれば、清流のように新鮮さを持ち続ける。
不断の努力修行が大切なのですね。
「仏法の教えが代々絶え間なく伝えられている」とも解釈できます。

先に楢崎通元老師の「拈華微笑(ねんげみしょう)」(5/11ブログ)、でも紹介したが、
釈迦の心中にある仏教の真理が無言のうちに伝授された、「以心伝心」という
ことにも通じる。



★蓮生善隆(はすお・ぜんりゅう)大僧正猊下

大正4年、高松市に生まれる。高野山大学と日本大学で学び、高野山金剛三味院住職、
別格本山与田寺住職を経て、真言宗善通寺派管長、総本山善通寺法主、四国霊場会総裁を務められ、昭和51年京都の東寺で後七日後修法の長者という偉業も成し遂げられた。
長者とは真言宗内最高の名誉職であり、実父蓮生観善猊下も長者、親子では史上初である。 晩年は與田寺で、悠々自適の隠居生活を楽まれた後、平成17年1月に遷化された。
享年91歳 合掌。

東かがわ市にある與田寺は,蓮生観善、蓮生善隆僧正親子が共に善通寺歴代管長(法主)をされたお寺である。 特に蓮生善隆僧正は1970~1996年の26年間の長きにわたりお勤めになり,今大師と言われた名僧です。

中川大兄は善隆僧正と昭和60年頃からの長く深いお付き合いをされていた。
「今大師 蓮生善隆の遺言」の著書では“師を偲ぶ”の寄稿文を寄せられるほどだ。

由緒あるお寺に生まれただけに、7歳の時に母親に連れられ兵庫県の香住の山寺、長楽寺に弟子入りを余儀なくされた。その際親子の別れの心境。善通寺管長になられ、昭和48年に弘法大師ご生誕千二百年の法要、この機を境に今日の遍路ブームが起こったこと。晩年における献身的なお世話、大晦日に病院に搬送し、時節柄皆に迷惑を掛けまいと必死に耐え抜いた気力、最後のお言葉は“中川さんおいでますか”だったと言う。
最後には地裁へ提訴されるほどの大騒動の奮闘、結末などを熱く語って聞かせてくれた。
これもまた仏天なのであろう。
[ 2017/05/17 06:33 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

瑞應寺 楢崎一光・通元老師筆

尊敬する中川義博大兄。
今度は新居浜にある中国・四国唯一の専門僧堂を有す古刹、
曹洞宗の別格本山「瑞應寺(ずいおうじ)」の第29世、同30世老師の筆を見せていただいた。


一光・通元筆

二幅は第30世、楢崎通元(ならさき つうげん)老師の直筆である。
二幅共に禅宗でしばしば用いられる仏語である。

拈華微笑(ねんげみしょう) 右の書

お釈迦さまが会衆を前に蓮華を無言でひねった際に、誰にもその意味がわからなかったが、
弟子の迦葉 (かしょう) だけが微笑して応じたことをいう故事である。

「拈華」とは花をひねることである。
釈迦の心中にある仏教の真理が無言のうちに伝授されたことをいうもので、
「以心伝心」ということである。

一華開五葉 結果自然成(いっかごようをひらく けっかじねんとなる) 左の書

禅宗の初祖、達磨大師の伝法偈の中の一句である。
「心の中に悟りの花が一輪咲けば、仏の尊い五つの知慧がはたらきだす」事を表す。

五つの知慧とは、
●法界体性智(ほうかいたいしょうち)
 物事の本質を明らかにし、統合させて絶対なる智慧
●大円鏡智(だいえんきょうち)
 鏡のように、現世の全てものを差別なく映し出す智慧
●平等性智 (びょうどうしょうち)
 すべての現世のものが平等であることを知る智慧
●妙観察智(みょうかんさっち)
 すべての現世のものを正しく見極める智慧
●成所作智(じょうそさち)
 すべての現世のものを完成させる智慧
を表わします。

平たく言えば
「花が一輪咲けば5枚の花びらが開くように、一つを成せば自然とその結果は実を結ぶ」
ということである。

“心華一輪(しんげいちりん)”“念ずれば花ひらく”“人事を尽くして天命を待つ”
と同じような意味である。
日々たゆまぬ努力を続ければ、必ずそれ相応の結果が現れるのです。
実践しなければと思う。

「茶禅一味」という言葉がある。茶席の花は「一花五葉」で活けよ、といわれる。
単なる活け花でも「心の華を開けよ」という教えでもある。

いずれの句も「悟りとは頭で理解するものではなく、日々の生活や行動そのもの」という
曹洞宗開祖・道元禅師の教えが根底にあるように思える。

達磨大師図は禅僧がよく描くが、禅僧にしか書けないともいえる。

達磨図 通元落款

大兄は通元老師とは昭和が終るころから知遇とのことで、達磨図は得意だそうだ。
現在91歳、現職である。
整った字にも老師ご自身の生きざま、生活感がにじみ出ているように思われる。
皆さんはどうお感じになるだろうか。

真中は瑞応寺第29世住職、楢崎一光(いっこう)老師の「般若心経」写経である。

一光般若
                           本体サイズ180×235(アクリル樹脂製)

楢崎一光老師は通元老師の実兄でもある。
1918(大正7)年に広島県向島町で御出生。実家は曹洞宗長福寺。
12歳で出家得度、参師聞法の後、昭和21年若干28歳で師席を継ぎ、瑞應寺に住職された。
また、宗門の重鎮として曹洞宗大本山永平寺の後堂、晩年は副貫首という要職も務めた。
日本はもとより海外にも、その禅風を慕われ、正伝の禅を多くの人々に唱導された。
また老師は筆道本源入木道を継承、塵気を離れた高潔な筆痕で多くの道俗を魅了し、
洞門屈指の能筆家として知られている。1996(平成8)年、78歳にて遷化。

永平寺78世貫首である宮崎奕保(えきほ)禅師(1901(明治34)年~2008(平成20)年)は、
108歳にて遷化された。NHKスペシャルで取り上げられるなど殊に有名であるが、毎日、暇を見つけては「般若心経」の写経をし続けていたという。
一光老師も副貫首時に触発されたのであろうか?

[ 2017/05/11 16:17 ] 作品 | TB(0) | CM(0)

知足心自平

知足 指名落款
  
特徴のある素晴らしい書体です。

出典は良寛上人の詩集「方外君莫羨」である。

方外君莫羨  方外(僧侶のこと)を君羨むこと莫れ
知足心自平  足るを知らば心自から平かなり
誰知青山裡  誰か知らん青山の裡に(青山裡とは悟りすました僧侶の心の中)
不有虎与狼  虎と狼と有らざらんや(虎与狼とは人間の欲のこと)


「僧侶になれば欲望が無くなるわけではない、悟りすましたように見える僧侶の心の内にも、
欲望の煩悩は有る。大切なのは足るを知ることで、知足ならば心は自から平静になる」
という意味である。

禅には「少欲知足(しょうよくちそく)」という言葉があります。
「欲を少なくして足るを知る」という意味です。

中国の諺には「知足常楽 能忍自安」という言葉があるようです。
「足るを知れば常に楽しく、よく忍べば自ら安らぐ」と読みます。
不満不足は欲から生じるもの、現状に満足すれば楽しく暮らせる。
不足を辛抱忍耐すれば平穏な生き方ができる。
ということです。

人間は衣食住、全てにおいて好いものを求め欲しがります。
自分より好い生活やいい物を持っていると羨む。
人間の欲には限りがありません。

欲望を追い続ける限り、結局、人は幸せにならないのですね。


この書は高野山真言宗総本山 金剛峯寺 第408代座主、同別格本山 持明院住職、
故竹内崇峯(すうほう)大僧正猊下の肉筆である。
勿論、前出中川義博大兄の所有物である。

第406代座主は、三幅で紹介した森寛紹猊下、その二代後の座主である。
森寛紹猊下が金剛峯寺の座主だった時、竹内猊下は大僧正として
「寺務検校執行法印」を務めていた。
法印とは弘法大師の身代わりとなって山内行事の導師を務める、という
高野山内だけに関する宗教上の象徴的な重職です。

平成2年11月15日、第408代座主に就任、平成6年11月14日までの4年間座主を務めた。
竹内崇峯猊下と言えは、高野山奥の院浄域にお釈迦様のご遺骨(佛舎利)をお祀りした
「佛舎利宝塔」を建立されたことで世に知られている。

中川大兄は懇意だった故蓮生善隆氏(真言宗善通寺派前管長)から紹介を受けている。
蓮生氏と竹内猊下は高野山大学で同級生の好であった。
こうしたことから中川大兄と竹内猊下との間には長いお付き合いがあった。

この書は座主を退任された後、記念として竹内猊下から賜ったものである。
だから作者名には前管長と、落款白文印にもそう記されている。

それにしても大兄の世に知れた賢人との知遇、その多さは感服の至りであります。

「知足」いい言葉です。
座右の銘の一つに加えました。
[ 2017/04/26 05:37 ] 作品 | TB(0) | CM(0)